SaaS型ERP活用の先人が示す「Fit to Standard」の
困難を乗り越え成果を手にする現実解
2025年5月27日に東京で催したSAPのプライベートイベント「SAP Innovation Day for Finance and Spend Management」では、「SAP S/4HANA Cloud Public Editionを先駆的に導入し、6カ月という短期間で基幹システム刷新を成し遂げたNTTアドバンステクノロジのAI&DXコアデザイン担当 統括マネージャ 都筑 純氏が講演を行いました。同氏は、これまでの体験をもとに“SaaS型ERP”の導入を成功に導くための要点を明らかにしています。以下、本講演の内容をレポートします。
「Fit to Standard」による業務改革を決断
1976年に設立されたNTTアドバンステクノロジ(以下、NTT-AT)は、約2,000人の社員の大半がエンジニアという技術者集団であり、年間740億円超(2024年3月期実績)を売り上げるICTプロバイダーです。

同社では2000年ごろからSAPのERPを基幹業務のオペレーションに使用していました。その導入・活用の方針は「現場の業務に合せてシステムを最適化させる」というもの。この方針を長くとってきた結果、「SAPのERP(SAP ECC 6.0)には800ものアドオンモジュールが組み込まれ、維持管理が困難になっていました」と、NTT-AT アプリケーション・ビジネス本部 AIXソリューションビジネス部門AI&DXコアデザイン担当 統括マネージャの都筑 純氏は振り返ります。
こうしたなかで、SAP ECC 6.0に対するSAPの保守期限が2027年に切れるという問題が浮上。また、Windowsの最新版や新会計基準(IFRS)に基幹システムを対応させる手間やコストも高止まりしていました。
そうした問題を解決すべくNTT-ATの経営陣が決断したのが、ERP製品の標準機能に業務を合せる「Fit to Standard」のアプローチによって、業務改革を推進することです。
Fit to Standardの徹底に向けて
SAP S/4HANA Cloud Public Editionの採用を決断
Fit to Standardの方針を徹底させ、その効果を最大化させるために、同社では、会計や販売管理、購買、プロフェッショナルサービスなどの基幹業務を支える仕組みとして、SaaS型のERPであるSAP S/4HANA Cloud Public Editionを選びました。
SAP S/4HANA Cloud Public Editionは、ユーザー固有のカスタマイズを行わずにクリーンな状態でシステムを使うこと、つまりは「クリーンコア戦略」の遂行を前提にしたSaaSです。実際、SAP S/4HANA Cloud Public Editionは、短いスパン(半年に1回の頻度)で機能更新(バージョンアップ)が行われます。そのため、ユーザーが独自に多数のアドオンモジュールを組み込んでしまうと、各モジュールの動作確認などの保守作業に多く手間がとられることになります。
「SAP S/4HANA Cloud Public Editionの採用は、Fit to Standard、クリーンコア戦略のもとで既存の業務を抜本的に見直し、標準化することを意味していました。それに向けて当社では、既存業務へのこだわりをすて、800のアドオンモジュールをすべて廃止する決断を下しました。これは業務の現場にとって『これまで便利にできていたことが、できなくなる』ということでもあり、社員から抵抗を受けました。ただ、Fit to Standardによる業務の改革は経営陣が決めたことで、彼らによる強力なコミットもありました。それによって現場の抵抗を抑え込むことができました」(都筑氏)
都筑氏自身も当初は「SaaSに基幹業務が本当に支えられるのか」「基幹業務でFit to Standardを推進することには無理があるのではないか」「基幹業務を支えるシステムが、高い頻度でバージョンアップを繰り返すというのは、ありえない話ではないか」と感じていたといいます。しかし、SAP S/4HANA Cloud Public Editionの導入を進めるなかでマインドセットが大きく変化したと同氏は明かします。
「SAP S/4HANA Cloud Public Editionの世界観は、基幹システムに対するこれまでの感覚からいえば、受け入れがたいものでした。しかし、その導入を進めるなかで、マインドセットが、システムは『作るもの』ではなく『使うもの』であるという『SaaSマインド(Fit to Standardマインド)』に切り替わっていきました。そして、高い頻度で行われるバージョンアップにしても『高い頻度で新機能が自動的に追加されるのは、すばらしいこと』と考えられるようになったのです」
トップダウンのリーダーシップのもと 社内の混乱を乗り越える
同社では2018年10月にSAP S/4HANA Cloud Public Editionの導入プロジェクトを開始しました。そして、システムを早期に「Go Live」(本番稼働)することを優先させ、データの移行は慎重に行ったものの、Go Live時には必要最小限の機能だけを提供する方針をとりました。結果として、導入プロジェクトの始動から6カ月間という短期間で本番稼働をスタートさせるに至っています。
もっとも、システムの稼働直後は、現場が業務のシステム、プロセスの大幅な変更についてこられず「大混乱」に陥ったといいます。そこで都筑氏は、経営陣と協議したうえで成すべきことの優先順位を明確にしました。
「我々が優先した施策は、とにかく四半期決算への影響がないようにすることと、取引先への支払いを確実に実行することの2点です。一方で、月次決算が期日に間に合わなかったとしても、それを許容するといった柔軟な対応をとりました」
導入を成功へと導く鍵
2025年6月時点で、NTT-ATにおけるSAP S/4HANA Cloud Public EditionのGo Liveから6年の歳月が経過しています(下図参照)。
図1:NTT-ATにおけるSAP S/4HANA Cloud Public Edition活用の変遷

そのなかで、同社は以下のような成果を上げています。
- クリーンコアの実現により、リアルタイムでの正確なデータの把握が可能に
- 受注・請求処理のフルアウトソースを実現
- 800のアドオンモジュールの完全廃止
- 各種法改正への対応の自動化
- 機械学習やAIなどを活用したデータドリブン経営の実現
都筑氏は、こうした成果を得るための鍵として以下のポイントを挙げています。
- 経営層のコミット:会社の経営層が、SAP S/4HANA Cloud Public Editionの導入を単なるERPシステムの更改ではなく事業改革のチャンスととらえ、強力にコミットする。
- SaaSマインドの醸成:「自分たちの要求を満たした基幹システムをIT企業に作らせる」といった旧来型の思考から抜け出し「システムのプロバイダーが提供してくれる機能を使って自分たちの業務を変革していく」というSaaSマインドを醸成し、維持する。
- 60点で前進する勇気:システムの稼働開始時点で完璧さを求めず「60点の出来」でも「のちに完成度を高めれば良い」という判断のもとスピーディにローンチする。
- 日々の決断:小さな決断を積み重ねながら改善を図っていく。
- Fit to Standardの徹底:「Fit to Standard」の重要性を理解したうえで業務プロセスの取捨選択を合理的、かつ徹底的に行う。
- 適切なパートナーを選ぶ:SAP S/4HANA Cloudに精通したパートナーを選ぶ。
- 外部サービスの有効活用:SAP S/4HANA Cloud Public Editionの標準機能になく、どうしても基幹システムに必要とされる機能は、アドインモジュールの開発ではなく、外部のSaaSやRPAツールを使って実装する。
システムの継続的な改善を続ける
先に触れた要点のうち「Fit to Standardの徹底」に関して都筑氏は、次のような説明を加えます。
「Fit to Standardの取り組みとは、『これまでの当たり前』を『諦める』ことと同義で、従来の業務プロセスへの執着を切りすて、標準化の価値を受け入れることを意味します。その重要性を理解したうえで、業務プロセスの取捨選択を合理的、かつ徹底して行うことが大切です」
また、同氏は、SAP S/4HANA Cloud Public EditionのようなSaaSを使ううえでは、システムのGo-Liveをゴールととらえず、継続的な改善を図ることも重要であるとします。
「SaaSの活用は、Go-Liveからが勝負です。言い換えれば、SaaSの導入は、稼働後にいかにそれを使い倒して価値の創出につげられるかが勝負であるということです。それを実現するためには、導入後も継続してSaaSマインドを醸成・維持することが大切です。当社では、SAP S/4HANA Cloud Public Editionに足りていない機能を、さまざまなSaaS製品と、約8,500社(2025年3月までの累計数)のお客様にお使いいただいている当社のRPAツール『WinActor』を組み合わせ、SAP S/4HANA Cloudに連携させることで補完しています(下図参照)。その運用においても、Fit to StandardとSaaSマインドを維持することの重要性を実感しています」
図2:NTT-ATによる基幹システムの新たな構成
各種SaaSと「WinActor」の活用でアドインモジュールの開発を不要に

AIの活用でさらなる変革を目指す
都筑氏によれば、同社におけるSAP S/4HANA Cloud Public Editionの活用は、「第2変革期」に突入しているといいます。このフェーズでは主に、SAP S/4HANA Cloudに蓄積された「クリーンなデータ」を活用し、機械学習やAI技術を使った予測分析に取り組んでいく構えです。
都筑氏は「これまでのクリーンデータの使い方は、どちらかといえば事業の『いま』や『過去』の分析がメインでした。今後は、機械学習やAI技術を使いながら、将来の分析に力を注いでいく考えです」と明かします。
こうした展望を示しながら、都筑氏は講演の最後に、SAP S/4HANA Cloud Public Editionの導入に関して次のようにまとめます。
「実のところ、SAP S/4HANA Cloud Public Editionの導入プロジェクトは大変でした。ただし、そうした苦労は短期集中のかたちで終えられますし、基幹システムにSaaSを採用したことで、SaaSマインドが醸成され、かつ、組織全体のデジタル変革と継続的な改善を図るための基礎も築けました。その意味で、Fit to Standardによる変革にコミットした経営判断は正しかったといえます。また、その意志の強さがFit to Standardの取り組みを成功へと導いたといえます。ぜひ、皆さんも、SAP S/4HANA Cloud Public Editionの活用を検討してみてはいかがでしょうか」
(/了)