SAP ジャパンが主催する年次最大のイベントとして、8 月 6 日(水)にグランドプリンスホテル新高輪・高輪 国際館パミールで開催された「SAP NOW AI Tour Tokyo & JSUG Conference」。ブレイクアウトセッション「SAP におけるデータドリブン経営実践事例とSAPジャパン CFO の実体験共有」では、SAP ジャパンの大倉裕史と中野浩志が、SAP 自身が推進してきたクラウド変革の舞台裏を明かすとともに、それを支えるデータ・AI 活用の実践例を紹介しました。

登壇してプレゼンをしている様子

(登壇者)
大倉 裕史
SAP ジャパン株式会社 代表取締役 最高財務責任者 (CFO)

中野 浩志
SAP ジャパン株式会社 カスタマーアドバイザリー統括本部 CoE
日本 CFO 協会主任研究員、早稲田大学大学院非常勤講師

オンプレ型からクラウド型へ―ハイブリッド組織モデルへの変革

ビジネスを取り巻く外部環境が大きく変化する中、SAP 自身も継続的に企業変革に取り組んでいます。最大の変革は、ライセンス売り切り型(オンプレミスビジネスモデル)からサービス(クラウド)型への根本的な転換でした。

2010 年頃まで、SAP の売上の 9 割以上は ERP ライセンスの売り切り型ビジネスが占めていました。しかし、技術の進歩と顧客ニーズの変化、競合環境の激化により、2019 年くらいからクラウド型へのシフトが不可避となります。この変革を支えたのは、積極的な M&A 戦略でした。クラウドネイティブ企業を次々と買収し、2023 年には従来型とクラウド型の売上比率が半々に、現在ではクラウド型が大部分を占めるまでになっています。

「オンプレ型は非常にシンプルなビジネスモデルでした。高い収益率で複雑なオペレーションも必要ありませんでした。しかし、クラウド型では大幅な追加投資が必要で、買収した企業それぞれが異なるビジネスモデルを持っています。これらを統合してスケールメリットを出すには、オペレーションの抜本的な見直しが必要でした」と大倉は振り返ります。

そこで SAP は、競争力の源泉となる部分は地域最適化を図る一方、共通化可能なプロセスは徹底的に標準化するハイブリッド変革モデルを採用。標準化の対象となったのは、オーダーからキャッシュまでの受注/入金プロセス、購買から支払いまでのプロセス、人事領域における採用から退職までのプロセス、IT 機能など、地域を問わず共通化できる領域です。この変革は組織、プロセス、ルール、人材、データ、システムの 6 軸で推進され、各軸が相互に連携して効果を最大化する設計となっています。

この組織変革により、各国における CFO の役割も根本的に変わりました。従来は購買、IT、財務経理、税務などすべてのレポートラインを持ち、月次締めの完全性/正確性担保が主要業務でした。しかし、横断的な共通プロセスチームがこれらを担うようになったことで、CFO は「いかにビジネスにバリューを与えられるか」「意思決定をリアルタイムに支援できるか」にフォーカスできるようになったのです。その結果、クラウド型ビジネスの成長率を維持しながら、売上に占めるコスト比率を大幅に削減するという経営成果を実現しています。

資料「新旧双方のビジネスを支えるオペレーションモデル変革」

機械学習による予測精度向上から生成 AI によるプロセス革新へ

登壇者:大倉 裕史新たな役割を担う CFO にとって重要になったのが、リアルタイムデータに基づく経営判断支援です。SAP では着地予測に機械学習を本格導入しています。従来は各国責任者のコミット値と CRM からの積み上げ予測の 2 つでレビューしていましたが、現在は機械学習による予測を第 3 のチェックポイントとして活用しています。

「機械学習の予測値と人間の予測値に大きな乖離がある場合、何らかのリスクが存在することを示しています。そこにフォーカスして議論することで、より効果的な経営支援が可能になります」(大倉)

また、財務指標だけでなく、従業員エンゲージメント指数やリーダーシップトラスト指数といった非財務指標もサーベイでデータ化し、各国の評価指標に組み込んでいます。これにより、マネジメントの行動にインセンティブを与える仕掛けも構築されています。

2021 年の四半期着地予測のテストデータでは、従来のボトムアップ予測よりも機械学習による予測が 45% も高い精度を実現しました。現在では、PL のトップライン からボトムラインまで、グループレベルのステアリング初期値はほぼすべて機械学習で算出しています。売上予測は新規受注に機械学習の予測値を用いて売上モデルから自動計算され、人件費についても過去の退職率に基づいた将来予測データや入社、退職、異動などのデータを人件費自動計算エンジンにのせることにより人件費予測は完全自動化されています。

機械学習の活用が軌道に乗る中、SAP では生成 AI の業務活用にも積極的に取り組んでいます。そのひとつが「Fin-o-Thon(フィナソン)」です。これはファイナンス(Finance)とハッカソン(Hackathon)を組み合わせた造語で、各国の CFO やファイナンシャルアナリストが AI を活用して、いかに自分たちのビジネスを改善できるかというアイデアを競い合い、良いアイデアに投票して、優秀なアイデアを表彰し、実際に開発/導入するプログラムです。

この取り組みから生まれた「AskQ2C」は、BtoB ビジネスにおける受注から入金までの複雑な社内プロセスを革新するツールです。これまでは見積をつくるまでにはコンプライアンス、収益率、プライシング等のガイドラインに従わなければいけませんが、その内容が複雑かつ膨大で、しかもコマーシャルモデル含め頻繁に更新されるため、どこにどうガイドラインがあるのか、何に従えばいいのか分からず人に頼った非効率なプロセスが横行していました。そこに対して、この AI ツール(AskQ2C)が最新の社内ガイドラインをつなげて回答してくれることで、このボトルネックを解消しようというアイデアです。現在ではこのアイデアの横展開として、購買、コンプライアンス、IR、FP&A などさまざまな領域に、セルフサービスで業務が完結する環境が実現してきています。

これらの AI/機械学習活用で最も重要な要素がデータクオリティです。「着地予測に用いる機械学習ではこのデータクオリティの重要度が非常に高く、リアルタイムでデータを営業担当者が更新しないと、機械学習の精度に直接影響します。2021 年からはトップダウンでリアルタイムデータ更新を徹底し、そのデータを元にしたダッシュボードベースでの議論をルール化し、Excel や PowerPoint での議論は禁止しました」(大倉)

資料2「最近の技術の進展は、SAPがお客様に価値を提供する方法において
パラダイムシフトをもたらしています」

全社データ利活用基盤の構築と共通言語による経営基盤確立

登壇者:中野

続いてデータ利活用の裏側の仕組みについて、中野が解説しました。2012 年頃の SAP では、KPI の定義や分析の切り口が部門ごとに異なっており、経営会議でも数字が合わないという深刻な問題が発生。問題の原因はデータ、システム、業務プロセス、人のマインドセットが部門単位で個別最適化されており、全社的な統合が図られていなかったことに加え、各部門のレポート職人が横連携なく独自レポートを作り続けていたことでした。

この課題解決のため、SAP では COO(最高執行責任者)の下にデータ利活用の全要素を統合する組織を設置し、本社直下のデータ利活用推進組織を設立。各事業や部門のレポート職人をこの組織に集約し、標準化を進めました。さらに、KPI 定義と分析軸の標準化、重要データの品質管理とモニタリング体制構築、重複作業の排除などに取り組みました。

特に重要だったのは、KPI の標準化だけでなく、言葉の定義とその使い方まで含めた包括的な標準化です。これによりグループの共通言語を作っていきました。「当時 6,000 あったレポートを 1 年半かけて 600 まで削減しました。膨大な重複レポートがあっても、以前は部門間の横連携がなかったため気づけなかったのです」(中野)

また、レポート作成プロセスや使用ツールも部門横断で標準化し、効率性を大幅に向上。これらの取り組みにより、現在 SAP では約 1,000 のレポートアセットを収録したレポートカタログを全社員が参照可能で、公式会議ではこれらの標準レポートしか使用を許可していません。

「Excel、PowerPoint の持ち込み禁止を徹底しています。全社員がレポートカタログ上の共通レポートを使うことで、部門、国、事業が違っても同じ言葉で会話ができる環境が実現しました」(中野)

このように徹底したデータガバナンスにより、「数字が合わない」問題を解消。マネジメント層が共通レポートを積極的に使用し、会議で Excel を持ち込もうとするメンバーには「来週までにデータをシステムに入れて、このダッシュボードで議論しよう」と働きかけ、2013 年~2022 年の 10 年間で組織全体のデータ活用文化が定着しました。
 
資料3「共通言語が埋め込まれたレポートを全社員が共通利用」

データプロダクトを活用した次世代データ利活用モデルへ

現在の新たな課題は、市場環境の変化が激化し、事業側からの分析要請とレポート供給側のスピードが合わなくなったことです。人員増強にも限りがあるため、従来の共通言語が組み込まれた「ダッシュボード」提供から、共通言語が組み込まれた「データプロダクト」をビジネス側が自由に活用する新モデルへの移行を進めています。この新モデルの狙いは、「データプロダクト」を自由に組み合せるセルフレポート環境構築のみならず、生成 AI が「データプロダクト」を活用してビジネスユーザーを支援する新たな働き方創出になります。

ここでデモとして、予算編成責任者が SAP のデジタルアシスタント「Joule」に「予算と実績を比較して問題点を調べるレポートを作成してください」と指示すると、AI が適切なレポートを自動生成する様子が紹介されました。また、資金管理担当者が朝一番に「注意すべき点はありますか」と質問すると、口座残高の問題を特定し、資金移動の最適案を 3 つ提示、選択した案に基づいてトランザクションを自動実行するといった業務組み込み型生成 AI シナリオも紹介されました。

このような先進的な AI 活用を支えるのが、アプリケーション、データ、AI を統合した環境です。「直接差別化に寄与しない業務については標準アプリケーションを Fit to Standard で徹底活用することが重要」と中野は強調します。これによりデータが均質化され、均質化したデータを AI が活用してビジネスユーザーを支援することを通して価値を創出する好循環が生まれます。

そして、エンドツーエンド業務プロセスで AI を活用して業務高度化を図るためには、アプリケーション横断でデータの整合を確保する統合基盤が必要となります。この統合環境の基盤となる「SAP Business Data Cloud」には、

    ①ソースアプリケーションからのデータ自動同期(ソースシステムからのデータ収集アクション不要)
    ②複数データプロダクト間のデータ整合性担保
    ③データカタログへの自動登録
    ④事前定義レポートの充実
    ⑤カスタムデータプロダクトによる非 SAP システムの統合
    ⑥ビッグデータ統合とカスタム AI 開発
    ⑦AI の正確な提案を支援するナレッジグラフ

という 7 つの特徴的機能が実装されています。

資料4「AI活用のためのデータ管理基盤」

11 万人の従業員を擁する SAP が目指すのは、より高度なデータ利活用の実現です。中野は最後に「SAP は今まさに、データ利活用の第 2 ステージを進める旅の途中にあります。各業務の AI エージェントが協調して課題解決を行う未来の実現を目指しています」と語りました。

AI 時代における企業のデータドリブン経営の可能性と、その実現に必要な組織・プロセス・技術の統合アプローチを示すべく、SAP はこれからも変革を続けていきます。
 
資料5「SAPデータ利活用基盤進化の経緯」