SAP ジャパンが主催する年次最大のイベントとして、8 月 6 日にグランドプリンスホテル新高輪・高輪 国際館パミールで開催された「SAP NOW AI Tour Tokyo & JSUG Conference」。「『中小企業の未来をデザインする経営』-“あなた”がいなくても成長し続ける会社をつくるには-」と題したブレイクアウトセッションでは、自らの経験を踏まえて中堅・中小企業の事業承継・事業再生のコンサルティングを手がけ、中小企業庁のブレーンとしても政策に携わる株式会社アテーナソリューション 代表取締役の立石裕明氏、長年にわたってファミリービジネスの研究と支援に取り組んできた早稲田大学 ビジネススクール 教授の長谷川博和氏をお迎えし、中堅・中小企業の事業承継における課題、また AI を活用した人材不足の解消といったテーマについてディスカッションが行われました。

 

【登壇者】
(写真右から)

立石 裕明 氏
株式会社アテーナソリューション
代表取締役

長谷川 博和 氏
早稲田大学
ビジネススクール 教授

原 弘美
SAP ジャパン株式会社
常務執行役員
SAP Labs Japan マネージングディレクター


事業承継はイノベーションの大きな機会

まずセッションの冒頭では、モデレーターを務めた SAP ジャパンの原が、日本の中堅・中小企業の 6 割以上で経営者の年齢が 60 歳を超えている現状や、プロ経営者による支援が受け入れられにくい環境を紹介したうえで、「日本の中堅・中小企業にとって、今なぜ事業承継が重要なトピックとなっているのか?」という問題提起がなされました。

一般的に日本の中堅・中小企業の事業承継は危機的な状況にあると考えられがちですが、世界全体が大きな変革期を迎えている現在、事業承継をイノベーションの機会と捉えることで、中堅・中小企業には大きなチャンスが訪れていると考えることもできます。

その理由として、長谷川氏は3 つのポイントを挙げ、次のように分析します。「中堅・中小企業は『戦略を立案するスピード』『戦略を成し遂げる行動力』『豊富な経験と理解に基づく現場力』において大企業に勝っており、この強みを活かすことで大企業をも凌駕する飛躍を実現する圧倒的なチャンスが訪れています」

ただし、さまざまな調査結果を見ると、日本の中堅・中小企業の関心事は目の前の事業承継や税金対策などに偏っています。これは、多くの国で事業のパフォーマンス向上や人材育成に高い関心が寄せられている状況とは異なっています。

こうした意識を転換していくためにも、長谷川氏は「日本の中堅・中小企業には『支払う税金が多くなっても、売上を 3 倍にすれば成長を持続できる』という発想が欠けています。そして、このことを実現するために重要なのが『守り』と『攻め』の両方のガバナンスです」と指摘します。

 

ファミリービジネスにおいて、何世代にもわたって優れた経営者を輩出し続けることは困難です。またオーナー経営者に権力が集中し、健全な企業経営が阻害されやすいこともファミリービジネスの大きな課題です。そこで、間違った方向に進まないためにブレーキをかける「守りのガバナンス」とともに、積極的にアクセルを踏んで成長の新たな機会を捉える「攻めのガバナンス」が、特に中堅・中小企業には求められます。

「今、日本の多くの中堅・中小企業は成熟・衰退の過渡期にあり、その中でファミリー企業でも世代交代が起ころうとしています。事業承継や第二創業をイノベーションのチャンスだと捉えて、ビジネスを変えることができれば持続的に成長できる企業になり、逆に経営者に危機感がなければ衰退に向かっていくという岐路に立たされているのです」(長谷川氏)

 

経営の解像度を高めることが変革の出発点

続いて立石氏は、実際に事業承継に挑んだ自らの経験も踏まえて、現在の日本の中堅・中小企業における事業承継の課題について言及しました。

「ファミリービジネスの事業承継とは、親の借金を子が継ぐことであり、子に求められるのは連帯保証の実印を押す覚悟です。そのためには、本来であれば借入金や事業の実態を細かく把握しておかなければならないのに、中堅・中小企業の大半の経営者は自社の決算書さえ理解していない点に大きな問題があります」

一方で立石氏は、生産管理の基本である BOM を本当に理解している経営者はわずかで、原価管理が不十分な企業が多いにもかかわらず、「どんぶり勘定でも経営ができているということは、逆に伸びしろが大きいという見方もできます」と話します。

「もう少し経営の解像度を上げて、自社の事業を数字で語れるようになれば、成長する可能性があるということです。売上は変わらなくても、原価管理の精度を上げることで利益を拡大させた会社を私はたくさん見てきました。ただ、多くの中堅・中小企業の経営者は数字の解像度を上げる重要性に気づいていないのが現状です」(立石氏)

同様に長谷川氏も「特にファミリービジネスにおいては、冷静に現状を把握できていない経営者が非常に多い。新規事業開発においても、経営者が変わらなければならないという危機感を持つことが出発点になります」と指摘しました。

そのうえで長谷川氏は、新たな事業機会を捉えて自社を変革していくためのポイントを 5 つ紹介しました。

  • 危機意識を持って自社の強みを再定義する
  • 事業機会を検討し、スピーディに実行する
  • 内部資産と外部との連携のバランス
  • ネットワークの活用
  • 事業承継者の自律性

「これらのポイントはすべて関連しあっていて、その中心には人のネットワークがあります。業界の垣根を越えて、少し遠いところまで人のネットワークを広げることで、新たな事業機会を見つけやすくなります」(長谷川氏)

企業の「事業性=稼ぐ力」に融資する時代の到来

立石氏は、中堅・中小企業の持続的な発展を促すことを目的とした小規模企業振興基本法が制定された 2014 年ごろから、中小企業庁の政策に関わってきました。その経験から「日本ほど手厚く中小企業を支援している国は他にありません」と断言します。

日本政府の中小企業支援は手厚く、例えば事業承継における支援も、事業承継・M&A 補助金に加えて、事業を引き継ぐ際に発生する相続税や贈与税の負担を軽減する制度もあります。立石氏は「非常に恵まれた環境であることを理解して、これらの仕組みをしっかり活用してほしい」と話します。

そして今、中堅・中小企業を取り巻く支援の在り方が大きく変わろうとしています。その 1 つが、事業の価値や将来性によって融資を受けやすくするための「事業性融資推進法」です。2026 年 5 月に施行されるこの法律では「企業価値担保権」が創設され、不動産担保や経営者保証などによらず、事業価値そのものを担保として融資が行われるようになります。これにより、中堅・中小企業の借り入れの仕組みが根本から変わり、「事業性=稼ぐ力」に応じて融資を判断する時代が到来します。

「これまでのやり方ではお金は出さないということですから、多くの経営者は戸惑うかもしれません。しかし、これを追い風として、より解像度の高い経営にシフトしていただきたいと思います」(立石氏)

具体的には、企業価値担保権の観点に立った業務の洗い出し、製品別原価・利益の把握などを経営者自らが行い、将来のキャッシュフロー計算書に基づく事業計画書を金融機関に提出し、融資を受ける流れになります。

「製品別原価と利益の把握を徹底すれば、すべての製品がお金に見えてきます。現場は 1 つ 1 つの製品を作っているのではなく、お金を作っているという意識を持たなければなりません。過剰在庫のリスクなどもすべてお金という数字にして、データでやりとりするようになれば、生産性の向上、稼ぐ力の向上につながります。融資制度が変わるという数十年ぶりのチャンスを、ぜひ活かしてください」(立石氏)

 

AI は人材不足の解消に向けた唯一の活路

続けて原は、中堅・中小企業共通の喫緊の課題として「人材不足」を挙げ、その対策について長谷川氏に質問を投げかけました。

これについて長谷川氏は「人手不足は今後さらに激しさを増します。この状況を乗り越えるためには、AIを活用する以外の道はなく、これからは AI を使わないこと自体がハンデになります」と即答しました。

AI 活用では、いかに自社の強みを活かせるかが鍵となります。情報伝達、整理、報告などの業務はすべて AI に任せて、人間は利益率に基づく中長期的な戦略を素早く立案して実行するなど付加価値の高い仕事にシフトしていくことが理想です。併せて企業文化も変革していく必要があり、「本当の意味での DX」を実行できるかが問われます。

中堅・中小企業における AI活用について長谷川氏は、「誰もが使えるパブリック AI と自社独自の知恵やノウハウで構築したプライベート AI を組み合わせていくことが重要です。誰もが使えるパブリック AI だけでは差別化ができないため、自社の競争領域では長年にわたって培ってきた現場力を使ってプライベート AI を構築します。ノーコード・ローコードなどによって開発の難易度も下がっており、経営者の覚悟とスピードがあれば、これを実行できるということです。」と考えを述べました。

さらに、こうしたデジタル化の取り組み段階について「業務データを統合する ERP 導入などは、上図にあるデジタル化の第 3 段階に当たります。そして、すべての顧客データ、在庫データなどを統合してシステム化する第 3 段階の次にある第 4 段階では、これらのデータ分析、AI の活用によって売上を倍増させます。ここまで進むことができれば、日本が世界での競争を勝ち抜くことができる。今はそうした過渡期にあるということです」(長谷川氏)と続けました。

これを受けて、立石氏も「AI 活用の徹底やデジタル化は、経営者自らが覚悟を決めてやることです。これは事業承継の問題にもつながります。人手不足は今後ますます深刻化しますので、徹底的に業務の棚卸しをして、人がいなくてもできる経営へのシフトを本気で考えなければいけません」と強調しました。

最後に「中堅・中小企業の経営者へのアドバイス」を求められた両氏。長谷川氏は「現在の経営者がいなくなっても、会社の業容が継続する仕組みを考えていかないといけません。AI はこの目的を達成するための有効な手段であり、今がチャンスです。とにかく、経営者自らが AI などの最新技術を使ってみることです」と話しました。また立石氏は「融資の制度が変わり、DX・AI の潮流が来ている今が追い風のチャンスだと認識して、この風に乗ってください」と来場者に呼びかけ、セッションを終了しました。