(本記事は、8月3日に本社で掲載されたものです)
企業では、エージェンティック AI の導入が急速に進んでいます。自律型 AI エージェントを業務プロセスに組み込み、本格的な活用を進める一方で、マーケティングやカスタマーサービスといったフロントオフィス業務から、出荷追跡、需要予測、サプライチェーン最適化などのオペレーション領域まで、幅広い分野で活用が進められています。
エージェンティック AI は、生成 AI がもたらす経済的価値を基盤として発展したものです。McKinsey の試算によると、生成 AI は世界経済に年間 2.6 兆〜4.4 兆米ドルの価値をもたらす可能性があります。これは、企業における AI 活用が新たな段階に入ったことを示しています。すなわち、コンテンツ生成から自律的な業務実行へ、そして限定的な実証実験から実運用へと移行しつつあるのです。
エージェントの乱立(Agent Sprawl)
こうした変化は、新たなガバナンス上の課題を生み出しています。エージェントの乱立とは、企業が AI エージェントのインベントリー管理、責任の所在の明確化、アクセス権限の統制、挙動の監視、さらには不要になったエージェントの最適化や廃止を行うスピードを上回るペースで、AI エージェントが作成、導入、連携されていく状態を指します。
こうした動向を裏付けるように、SAP® LeanIX が実施したエージェンティック AI に関する調査によると、企業の 98% がすでに AI エージェントを導入しているか、導入を計画しています。しかし、導入が加速する一方で、ガバナンスの整備は追いついていません。同調査では、自社で利用されている AI エージェントのインベントリーを把握できている組織は半数未満にとどまることも明らかになっています。
エージェントの乱立が生じるメカニズムは、SaaS の普及を経験してきたテクノロジーリーダーにとって馴染みのあるものです。各部門は生産性向上を目的として、それぞれ独自にエージェントを導入します。マーケティング自動化エージェント、サプライチェーン監視エージェント、人事オンボーディングボットなど、それぞれが特定の業務向けに設計され、個別に運用されます。しかし、統合されたプラットフォームやガバナンスの枠組みがない場合、相互運用性を欠き、一貫した監査も困難なエージェントが組織内に蓄積されていきます。その結果、エージェントが生み出す価値を上回るスピードで技術的負債が増大する可能性があります。
Gartnerの予測によると、2028 年までに世界の Fortune 500 企業では、平均で 15 万を超える AI エージェントが利用される見込みです。しかし、こうしたエージェントを管理するための適切なガバナンス体制が整っていると考える組織は、わずか 13% にとどまっています。Gartner のシニアディレクターアナリストであるマックス・ゴス(Max Goss)氏は、4 月にロンドンで開催されたカンファレンスで次のように述べています。「CIO や IT リーダーが組織全体で AI エージェントの急増を目の当たりにするなか、多くの企業は適切に管理されていないエージェントの乱立という課題に直面しています。その結果、誤情報の拡散、過剰な情報共有、データ損失など、さまざまなリスクにさらされています。」
さらにゴス氏は次のように続けています。「多くの組織は AI エージェントの利用を禁止または制限していますが、それは長期的な解決策ではありません。従業員が承認されたツールだけでは業務を遂行できない場合、組織の統制を回避してシャドー AI を利用する可能性が高くなります。その方がより大きなリスクを招きかねません。企業は、エージェントを適切に統制して乱立を管理すると同時に、従業員がこれらのツールを安全に活用しながらイノベーションを促進できる環境を整える必要があります。」
一般に、AI エージェントが機能するためには、複数の環境を横断する広範な権限が必要です。しかし、その権限は人間のユーザーに適用されるほど厳格に管理されていない場合が少なくありません。そのため、適切な管理が行われていない AI エージェントが企業にもたらすリスクは現実のものとなっており、今後さらに拡大していくことが懸念されています。
AI エージェントのセキュリティに関する懸念
企業のセキュリティ事案として公表された事例からも、AI エージェントが機密情報を漏えいしたり、本来想定されていた範囲を超えて動作したりするリスクが浮き彫りになっています。中には、悪意のある指示によってエージェントが設定された安全対策を回避し、本番環境のデータを削除したり、取り消しのできない金融取引を実行したりしたケースも報告されています。
こうしたリスクの中でも、企業のテクノロジーリーダーが特に強く懸念しているのがセキュリティです。チャットボットや初期の生成 AI において、セキュリティ上の問題は一般的に「不適切な出力」にとどまっていました。つまり、不正確または不適切な回答が生成されるものであり、多くの場合は事後的な修正が可能でした。しかし、エージェンティック AI の時代においては、エージェントの誤作動やセキュリティ侵害がもたらす影響ははるかに深刻になる可能性があります。なぜなら、エージェントは実際にアクションを実行し、ツールを呼び出し、システムにアクセスし、さらには業務プロセスを開始できるからです。
そのため、エージェントのガバナンスはもはや IT 運用部門だけの課題ではありません。現在では、リスク管理の責任所在、規制対応上のリスク、データ保護、監査可能性、業務継続性、そして自律的な意思決定に対する説明責任といった、経営層や取締役会レベルの重要課題にも深く関わるようになっています。
台頭する AI ガバナンスプラットフォーム
先進的な企業では、エージェントのガバナンスを単なるコンプライアンス対応の負担ではなく、AI への投資が競争優位につながるのか、それともリスク要因となるのかを左右する戦略的な能力として捉え始めています。その結果、効果的な AI エージェントガバナンスは急速に取締役会レベルの議題となり、新たなプラットフォームカテゴリーである「AI ガバナンスプラットフォーム」の形成を後押ししています。
このカテゴリーはまだ形成途上にありますが、その目的は明確になりつつあります。企業には、AI エージェントを発見し、その役割を把握し、アクセス権限を制御し、コンプライアンスへの準拠状況を確認するとともに、本番環境での挙動を継続的に監視する仕組みが求められています。
SAP は、この新たなカテゴリーにおけるエージェンティック AI の先駆者の一社です。2023 年の LeanIX 買収を通じて、SAP はエンタープライズアーキテクチャ管理の基盤を獲得しました。これは現在、SAP AI Agent Hub の重要な差別化要因となっています。AI エージェントや AI モデル、MCP サーバーといった AI 資産を、企業全体のアーキテクチャやビジネスプロセスの文脈の中で位置付けて把握できるためです。
SAP® AI Agent Hub は、この基盤の上に構築されたソリューションであり、異なるベンダーの製品や異なるシステム上で稼働するものも含め、企業全体にわたる AI エージェントおよび関連する AI 資産を管理・統制するためのコマンドセンターとして機能します。
今年の SAP® Sapphire® のステージで、SAP の CTO であるフィリップ・ハーツィク(Philipp Herzig)は、SAP AI Agent Hub が企業のエージェントエコシステム全体を対象としたガバナンスの記録基盤を提供することを目的としていると説明しました。「AI エージェントはあらゆる場所で活用されています。優れたものもあれば、そうでないものもあります。しかし、多くの企業はそれらの全体像を一貫して把握できていません。中央集権的なガバナンスもなければ、各エージェントが何をしているのか、価値を生み出しているのか、自社のポリシーに準拠しているのかを明確に把握する手段もないのです」
さらにハーツィクは次のように述べています。「SAP AI Agent Hub は、その状況を変えます。単一のエントリーポイントとコマンドセンターとして、環境内のすべての AI エージェント、LLM、MCP サーバーをベンダーに依存することなく検出し、管理し、統制できます。SAP AI Agent Hub によって、企業は自社のシステム環境やビジネスプロセスという文脈の中で、すべてのエージェントを可視化できます。そして適切なエージェントを特定した後は、そのリスクを管理し、アーキテクチャ上の方針やコンプライアンスルールを定義できるようになります」
残された時間はわずか
AI エージェントの導入が急速に進むなか、重大なインシデントが発生する前に効果的な企業ガバナンスを整備できる時間的猶予は、ますます短くなっています。CIO や CEO、さらには取締役会にとって、もはや問題は「AI エージェントをガバナンスの対象とするべきかどうか」ではありません。ガバナンスをアーキテクチャ設計の段階から組み込むのか、それとも最初の重大な障害やインシデントが発生した後に後付けで対応するのかが問われているのです。
2026 年にエージェントガバナンスを戦略的な優先事項と位置付ける企業は、AI を持続的な競争優位として活用していくうえで有利な立場を築けるでしょう。一方で、その対応を先送りする企業は、2027 年に問題の収拾に追われることになるかもしれません。エンタープライズ IT の世界では、適切な統制を伴わないスピードの代償は、いずれ必ず支払うことになります。しかし AI エージェントの場合、その代償はこれまでのどの技術よりも早く、そしてより大きな規模で訪れます。


