結果が出せないと生きていくことさえも難しい競争の世界がある。
言葉通り、成績が出ないと生命を絶たれてしまうのだ。
これは人間の話ではなく、競走馬のキャリアの話である。
日本では1年で約7000頭のサラブレットが生まれるが、その約9割が殺処分となると言われている。 なぜなら、1位を取れない馬は必要とされず、言葉どおり生き残っていくことが非常に難しいからだ。
しかし、非情なこの事実に対して強く葛藤を抱いたとしても、公に声をあげることは長い間タブーとして見られていた。
そんな中、引退馬にセカンドキャリアのチャンスを与えようと声をあげ立ち上がる人や団体が、少しずつだが増えてきつつある。
TCCジャパン(以下TCC)は、このような競走馬の引退後の支援に取り組む企業の一つである。サラブレッドが競走馬から引退した後、リスキルを支援し、再就職を斡旋。馬の個性を生かした活躍の場を作るチャレンジもしている。
現在TCCは、主に3つの軸で事業を展開している。
-ケガなどで競走馬としての引退を余儀なくされたサラブレッドを救うための「ホースシェルター」
-全国各地の提携施設で会員サービスに活かす 「ウマシェア」
-働けなくなったサラブレッドの余生を支援する「ウマハグ」
Source: TCC Japan Website
SAPジャパンは、引退馬の行く末とTCCの取り組みを広く周知し、競走馬引退後のセカンドキャリア、サードキャリアの支援を広げるために、2021年9月、TCCと共同でデザインシンキングを開催した。
TCCとの共同デザインシンキング
デザインシンキングとは、5-6名ほどのチームに分かれ、各チームに一人のペルソナを仮定し、そのペルソナの視点で課題解決を考えていく、というスキームである。
SAPはソフトウェア開発の際にデザインシンキングを取り入れ、お客様の業務改善や新しいビジネスモデルなどのイノベーションをデザインする取り組みをお客様と共に実施している。 また、社内プロセスや従業員に対しても、デザインシンキングを取り入れた活動を行っている。
*デザインシンキングの詳細に関してはこちら:「人」の体験を中心に考える変革へのアプローチ
人間には普段から想像力があるので、わざわざデザインシンキングを実施しても新しい発見が得られるのか、と懐疑的になるかもしれない。しかし実際やってみると、驚くほど新しい視点が見えてくる。
デザインシンキングの効果の一つとして「共感力の醸成」がある。参加者が力を合わせてアイデアを創出し、ぼんやりとだけ見えていたアイデアの種が、デザインシンキングでのメソドロジーに沿ったチーム内のブラッシングにより、はっきりとした形になってくる。
コロナ禍に行われた今回のデザインシンキングは、各地から28名が参加し、オンラインで行われた。
SAPからは9名、TCCからは4名が参加。そのほか外部からの参加者15名は、TCCのサポーター、競馬ファン、競馬未経験者、乗馬経験者、馬とのかかわりなし、と様々なバックグラウンドを持ったメンバー構成であった。
男女比はほぼ半々、年齢層は20代から50代までと幅広い。
チームで力をあわせて形にしていく共感力の醸成のためにも、デザインシンキングの参加者のダイバーシティは最重要な条件の一つだ。
オンラインでのデザインシンキングでは、ZoomとMuralという2種類のアプリケーションを使用する。
デザインシンキングをフルコースで行う場合、通常2日間かけて、探索、共感、リフレーミング、アイデア出し、プロトタイプ作成、テストまでを行う。
今回、デザインシンキングやオンラインツールの使用が初めてである参加者が多い中ではあったが、4時間というデザインシンキングとしては最短ともいえる時間設定で行った。
短時間で行う場合は、最初のフェーズの「アイデア出し」までをフォーカスすることが多く、今回もその形となった。
最近クローズアップされることが多くなったとはいえ、一般的には競走馬の行く末や引退馬の殺処分に関する認知度はまだまだ低い。
関心を向けているのは、競馬ファンのほんの一部や動物愛護に関心の高い一部の層に限られる。TCCの取り組みの認知度を上げ、引退したサラブレッドの生きるチャンスを増やしていくにはどのような取り組みが考えられるのか。そのゴールにむけて、チームごとに設定したペルソナ視点で、アイデアをより具体的な形にしていった。
今回のデザインシンキングでは、このような7ステップによるアイデア出しを行った。
1: 一般的な競走馬の引退後の現状と課題を書き出し
2: 現状をとりまくステークホルダーの書き出しと層分け
3: TCCの現在、3年後の理想の姿、その将来像とのギャップの書き出し
4: ペルソナの属性と、ペルソナの日常の接点や、見るもの、聞くもの、考えること、感じること、言うことの書き出し
5: ペルソナ視点での、課題と目標の言語化
6: ゴールに向けた実施すべきアイデアの書き出し
7: チームで良いと思うアイデアに投票し、アイデア像の最終化
今回のデザインシンキングは、テーマの中心に「命の大切さ」が軸としてあったためか、デザインシンキング初挑戦の参加者が多くいたにもかかわらず、全体を通した集中力は、いつにも増して高かったように思う。
最終的に各チームから発表されたアイデアは、馬への関係性が近いペルソナの視点もあれば、馬からは遠い生活を送る人物のペルソナ視点のものもあり、様々であった。
人も馬も幸せな環境へ
勝つ馬もいれば、当然ながら勝てない馬もいる。
速く走ることに向いていなければ、その馬の別の個性や長所を生かした活躍の場が必ずある。
地球の持続可能性やSDGsが強く叫ばれる今、引退馬の行く末がフォーカスされ、少しずつ注目を集め始めてきたのは、偶然ではないだろう。 サステナビリティは人間だけに限った話ではないのだ。
サステナビリティは人間だけのものではもちろんなく、人間だけの都合で他の生き物たちを「サステナブル」かどうかを判断することは、そもそもサステナブルではない。
今回は引退馬のセカンドキャリアにフォーカスしたが、馬に限らず、馬にかかわる多くの人々の思いや、職業にとっての持続可能性に向けた課題でもある。
「頑張って走ってきた馬たち。そんな馬たちに一旦休養する時間と場所をプレゼントし、次の居場所につなげていきたい。」
TCCの山本代表はそう語る。
「馬を救い、人も癒される」「馬と共に社会を豊かに」
TCCの活動が目指すゴールである。
Source: TCC Japan WebSite
競走馬一頭がデビューを迎えるまでには、数えきれないほど多くの人々の思いや労力がかけられている。 もちろん、そこにはデビューに至らなかった多くの馬たちも含まれる。
サラブレッドだけの話ではない。 ワンチームとしての思いがつまった人と馬のサステナビリティの話なのだ。