前回は、AI時代のERPの役割と、ERPを使いこなしてビジネス成果につなげる上での課題と解決の方向性について紹介しました。
今回は、AI時代のERPの全貌について、SAP Cloud ERP (*1)が描くビジョンである「自律型エンタープライズ」を具体例として考察します。
「ヒトがERPを操作して業務を実行」する世界から、「ヒトの監督および指示のもと、ERPを基盤としてAIが自律的に業務を実行」する世界へ、どのようにシフトしようとしているのか、それを支えるテクノロジーはどのようなものか、主なポイントについて解説します。
■企業内基幹業務でAIを価値創出に繋げる上での考慮点
AIの活用は急速に進んでいる一方、多くの企業が実証段階にとどまり、実際の業務の中で本格展開に至る道筋を描けていません。それはAIモデルの性能が足りないからではありません。
AIモデルが、企業内の業務プロセスやマスターデータ、組織、各種ルール、ガバナンス構造を十分に理解していないからです。
図表1:AIがパイロットフェーズで停滞している理由

パワーポイントや議事録作成、施策立案に向けた壁打ち相手などは80%の精度でも有益ですが、財務諸表作成や給与計算など企業基幹業務においては80%の精度では不十分で、監査責任や説明責任を果たすことはできません。
ここで考慮したいのは、AIが企業を理解し、精度高く業務を遂行するために必要なビジネスデータや業務プロセスなどのビジネスコンテキストは、既に各社のERPの中に存在している点です。 ERPには、正規化されたマスタと共通データモデル、共通業務ルール、数十年分のグローバルの企業プロセス知識など膨大な業務抽象化が埋め込まれており、そこに企業固有の組織構造やビジネスデータ、業務プロセスなどが反映されています。
また、ERPは財務、購買、SCM、製造など幅広い基幹業務プロセスとデータが統合されているため、AIが業務を横断して因果関係を理解しやすい。
そして、「企業活動を一貫したルールで記録・統制すること」も、AIの監査・統制およびガードレールとして重要な役割を果たします。
このように、ERPがDNAとして持つ整合性のあるプロセス・データ構造・耐監査性・リアルタイム性は、AIが企業を理解して正しく業務を遂行するための「頭脳」として機能するといえます。
図表2:AIを業務価値に繋げるために必要な要件

■自律型エンタープライズの全貌
各企業のビジネスデータや業務プロセスを理解したAIエージェントが、組織横断で業務を自律的に支援・遂行するのが、自律型エンタープライズの考え方です。
「ヒトがERPを操作して業務を実行する」世界から、「ヒトの監督および指示のもと、ERPを基盤としてAIが自律的に業務を実行する」世界へのシフトは、遠い将来の話ではありません。既に一部の機能はソリューションとして提供が始まっており、今後急ピッチで拡充・リリースされていく予定です。
この自律型エンタープライズは、5つの仕組みで構成されます。
- AIコパイロット:Joule(*2)
AIコパイロットであるJouleは、ヒトとAI/業務をつなぐ入り口です。
ヒトが複数のシステムを行き来しなくても、自然な言葉で業務の意図を伝え、必要な情報を確認したり、業務を開始したり、進捗を把握したりできるようになります。 - 業務別自律型AI組込アプリケーション:SAP Autonomous Suite(*3)
SAP Autonomous Suiteは、企業の中核業務をつなぎ、AIが実行を支援する仕組みです。 財務、調達、サプライチェーン、人事、顧客対応などの業務基盤上で、AIアシスタントを司令塔のもと、複数のAIエージェントが連携し、業務領域を横断した業務実行を支援します。 - 業界特化AI:インダストリーAI(*4)
インダストリーAIは、業界ごとの業務や規制、現場固有の判断をAIに組み込むものです。 汎用的なAIだけでは対応しにくい、業界固有の文脈を支えます。 - ビジネスAIプラットフォーム:SAP Business AI Platform(*5)
SAP Business AI Platformは、AIを安全に業務へ組み込むための土台です。 ビジネスコンテキストが組み込まれたAI・アプリケーション開発、AIモデル、統合データ、企業利用に必要なガバナンスを一体で扱い、AIの動きを企業として統制できるようにします。 また、AIが業務の意味を理解するためのデータ基盤を備え、様々なシステムからのデータを収集・統制するだけでなく、業務上のつながりや意味を保ったまま活用しやすくします。 - 変革&移行アプローチ:RISE GROW(*6)
RISE with SAPやGROW with SAPは、各企業が現在のシステム環境から次のありたい企業システムの姿へ段階的に進み、AIを安全に業務へ組み込むための道筋と土台になります。 自律型エンタープライズに向けて、クラウド移行、データ整備、業務プロセスの見直し、テスト、モダナイゼーションを進めながら、現実的に移行していくための方法論とサービスです。
図表3:自律型エンタープライズ全貌

自律型エンタープライズとは、AIが主役になる企業のことではありません。
ヒトが意図を示し、判断し、責任を持った上で、AIが自律駆動しながら状況を把握し、提案し、実行を支援します。
ヒトとAIが同僚として協業し、業務プロセス、データ、ガバナンスが一体となって企業全体の動きをより良くしていくことが、AI時代のERPが支える企業運営の姿です。
以下、自律型エンタープライズを支える5つの仕組みの中から、CFO組織にインパクトの大きい「業務別自律型AI組込アプリケーション」と「ビジネスAIプラットフォーム」について掘り下げます。
■業務別自律型AI組込アプリケーション:SAP Autonomous Suite(*3)
SAP Cloud ERP(*1)は、財務、調達、サプライチェーン、人事、顧客管理など、幅広い業務領域を網羅し、整合性のあるプロセス・データ構造、耐監査性、リアルタイム性などの特徴を備えています。
業務・データ・プロセスが分断されることなく一体として機能する仕組みになっているというERPの特徴が、AIの恩恵を掛け算で享受する土台になります。
図表4:SAP Cloud ERP(*1)全体像

自律型エンタープライズでは、こうしたERPの特徴を活かしながらAIが業務文脈を理解し、部門をまたいで連携できる一つのつながった仕組みとして機能します。その上で、AIが複数部門・業務横断で必要なデータを分析し、解決策案を提示することで、スピーディーな経営判断を支援します。
ERPの本源的な価値である、整合性のあるプロセス・データ構造、耐監査性、リアルタイム性が、そのまま自律型AIの土台として活かされます。
一方、ヒトとERPの接点であるユーザーインターフェースおよびヒトの仕事の仕方は大きく変わろうとしています。
従来、ヒトがパソコン画面のメニューパスを辿り、受注登録や仕訳入力の画面を開いてマニュアル入力および実行するなどのERP表層部分は、ヒトの指示のもとAIエージェントが代行してくれることになります。
例えば、ヒトがAIコパイロットであるJoule(*2)に自然言語で指示すると、AIアシスタントが意図を解釈して必要なAIエージェントを選択・調整し、ビジネスコンテキストを理解したAIエージェントが連携しながら、複数ステップの業務を自律的に実行します。
そして、すべてのAIアクションはSOX監査に準拠して完全に追跡・検証可能な形で記録され、企業業務に求められる監査・統制を支えます。
図表5および図表6にあるように、財務、調達、サプライチェーン、人事、顧客対応など、企業の主要な業務領域でAIアシスタントとAIエージェントの提供が拡大しています。AIアシスタントは業務の役割に応じてユーザーに割り当てるスーパーエージェントで、その業務の関連タスクを実行する複数のAIエージェントを統率する関係となります。
今後も、AIアシスタントやAIエージェントの拡充が予定されています。
図表5: 自律型AI 業務領域別アシスタント概要

図表6: ファイナンス領域自律型AIエージェント

例えば、オフラインでの連絡や手作業による対応が多い緊急支払プロセスも、アシスタントを活用することで自動化・効率化を図ることができます(図表7)。
これにより、債務管理業務を省力化し、業務負荷の削減に寄与することが期待されます。
図表7: 債務管理アシスタントの活用例

また、資金管理領域では、資金予測・回収状況を複数エージェントが連携して統合分析の上、資金不足の原因特定から、最適な資金調達策やキャッシュ改善策を比較提案し、関係者への承認依頼・実行までを支援するアシスタントがリリースされる予定です。(図表8)。
AIエージェントを同僚とすることで、ヒトは “作業” から解放され、戦略的な資金配分・資本政策やリスク判断などに集中できるようになります。
図表8:資金財務アシスタントの活用例

このように、ユーザーはJoule(*2) を通じてAIアシスタント/エージェントを新たな同僚として活用し、業務に必要な情報やアクションへアクセスできるようになります。
AIアシスタントが業務の文脈を整理し、必要に応じてエージェントが複数ステップにわたる業務を支援します。
これにより、複数のアプリケーションを行き来する負荷を軽減し、部門をまたいだ業務プロセスをより円滑かつスピーディーに進めることができます。
■ビジネスAIプラットフォーム: SAP Business AI Platform (*5)
AIエージェントを企業の本番業務で安全かつ効果的に活用するための基盤となるのが、SAP Business AI Platformです。
SAP Business AI Platformは、「開発」「コンテキスト・推論」「ガバナンス」の3つの領域で構成されます。
図表9:SAP Business AI Platform

「開発」
AIエージェント・アプリ・ワークフロー開発の一連のステップを、Jouleと会話しながら進めることができます。
Jouleに、“解決したいビジネス課題“ を起点として意図を伝えることで、業務プロセス・ビジネスデータやITアーキテクチャなど各企業のビジネスコンテキストを織り込みながら、要件定義、仕様、ソースコード、テストなど一連の開発工程をつなげて進めるインテントベースの開発が可能になります。
「どう作るか」ではなく「何を実現したいか」を伝えることで、設計からテストまでAIが自動完結させる次世代の開発手法は、開発期間短縮のみならず、開発者の裾野を、業務を熟知したビジネスユーザーに広げ、ビジネス成果に繋がりやすくなることが期待されます。
一方で、野良AIが見えないところで増殖しないよう「ガバナンス」が重要になります。
「コンテキスト・推論」
汎用AIが理解していない業務プロセスとデータの関係性をAIに与え、ERP独自モデルや汎用AIモデルによる高度な推論を支援すると同時に、業務文脈を備えた正確なデータを統合し、AIの信頼性を高めることができます。
AIエージェントの精度向上に不可欠な”業務プロセス全体の地図”と”知能”を与える鍵となるのが、SAP Knowledge Graph(*7)とSAP Domain Model(*8)です。
SAP Knowledge Graph(*7)は、SAP Cloud ERPなどにある業務データやプロセスの関係性を、AIが理解しやすい形で整理します。
SAP Cloud ERP(*1) にある45万以上のテーブルや700万以上のデータ項目と、業務プロセスを構造化した「ビジネスの地図」を提供することで、AIエージェントが迷わず正確なデータに辿り着くことができます。
AIエージェント群が協業する際のコンパスとして機能し、推論精度の向上が期待できます。
SAP Domain Model(*8)は、ERP独自のコードやメタデータ、業務プロセス、ドキュメントで直接学習されたAIモデルであり、Webで公開されている一般的な知識ではなく、ERP特有の文脈に基づいているため、AIエージェントの推論精度を向上させることができます。
また、ERPなどの構造化された業務データに特化した予測・推論モデルであるSAP-RPT-1.5(*9)も強化されています。
過去データから、配送遅延予測、支払い異常検知、受注入力の自動補完などを高い精度で行うことができ、自然言語かつ対話型で予測シミュレーションを行うことができます。
これまでは、予測シナリオごとにデータサイエンティストがデータを集め、アルゴリズムを開発し、AIモデルを学習させるという、専門知識も時間も要していたものが、事前トレーニングなしで即座に予測を開始できる点が魅力になります。
また、業務固有の予測シナリオにおいては過去データから未来を確率で予測する本技術との相性が良いです。
生成AI(LLM)がベースであるAIエージェントは、LLMが得意な全体の文脈からプロセス実行の計画(推論)を担い、その判断のファクトとなる業務シナリオの予測は本技術で行うという組み合わせが、基幹システムにおけるAIエージェントの信頼性向上につながっています。
一方、経営や事業推進に必要なデータは、ERPの中にあるデータだけで完結するとは限りません。
ERPおよびERP外システムにあるデータの統合およびデータガバナンスを検討する際には、AI活用を踏まえて以下の3点を考慮する必要があります。
- 従来のデータの物理的統合からデータの意味的統合へ、データ統合の考え方をシフトする必要があること
- ERPのビジネスの意味合いが付帯したデータをそのまま活用できること(データレイク上での再構築回避)
- ERP外のデータについては極力ゼロコピーで意味統合できること(データの二重持ち回避)
SAP Business Data Cloud(SAP BDC、*10)では、ERP内のビジネスの意味合いが付帯した整合性のあるデータを自動的にクラウドデータ利活用基盤内にあるデータプロダクトに同期され、DatabricksやSnowflakeなどERP外にあるデータともゼロコピー連携ができます。
これにより、既存データレイク資産およびERPに内包されているビジネスコンテキストを最大限活かしながら、データ量とコストの増大、データ鮮度低下などを防ぎ、AIの信頼性を高めることが期待されます。
図表10: SAP Business Data Cloudのイメージ

また、データ利活用基盤の進化として、AIコパイロットであるJouleに対する自然言語での指示を通して、データプロダクトの検索、結合、変換、分析モデルの作成などの支援を受けられるようになり、専門的なデータ知識を持たないユーザーでも業務に必要なインサイトを得やすくなった点が挙げられます。
また、Snowflake、Databricksに加え、年内にはGoogle BigQueryおよびMicrosoft Fabric、Amazon Athenaなどのデータプラットフォームとの間で、データとメタデータを双方向かつゼロコピーで共有し、データを複製することなく業務の文脈を維持したまま活用できるようになる予定です。
「ガバナンス」
ERPが実行システムから自律型AI実行プラットフォームへ進化し、ERPの利用者がヒトからAIへ広がる中、ヒトとAIが協業して業務高度化を推進する上で、AIガバナンスは一層重要になります。
AIが自律的に業務を遂行する際のリスクは、AIの「暴走」、「誤判断」、「規則違反・不正」などになるが、ERPに組み込まれている業務ルールや承認ルール、監査ログなどがAI統制基盤として機能します。
ERPの外側にある様々なシステムを含めたAIガバナンスについては、ヒトが業務を遂行する前提で作られた既存の枠組みに捉われず、AI時代に対応した最新テクノロジーを活用して持続可能かつ実効性のある仕組みを構築する必要があります。
先進事例を考察すると、AIガバナンスは各社状況に応じて段階的に強化していくのが有効と考えられます。
まず、従業員がAIを怖がらず、AIのできること・できないことをある程度理解して同僚として協業する第一歩として、セキュリティ・コンプライアンスを考慮したガードレールの枠内で広AI利用を推進するための施策を、各社工夫を凝らして推進しています。
技術領域のアイデアコンテストとして広く普及しているハッカソンをファイナンス領域にも適用し、グループ全体からAIを活用した業務高度化・自動化のアイデアを募り、共有し、優秀なアイデアに対しては表彰するだけでなく、関係部門と連携した実装を経営陣が支援するなどが一例です。
一方で、AIを全社戦略に紐づく重要施策に組込むなどリアルなビジネス価値につなげる取組みについては、草の根運動とは別のプログラムとして取り組んでいるケースが多い。
この場合、トークンコスト予測なども加味した費用対効果、戦略的な重要性などを踏まえた優先順位付けを行い、コンプライアンス・セキュリティガードレールへの準拠や効果創出モニタリングなど、AIライフサイクル全体を可視化・統制する仕組みが必要となり、最新テクノロジーを活用したAIガバナンスが不可欠になります。
最新テクノロジーがどのようにAIガバナンスに寄与するか、具体例を考察します。
ビジネスAIプラットフォームのプロセス管理ツールであるSAP Signavio(*11)は、業務プロセスの可視化・分析・改善を支援し、エンタープライズアーキテクチャー管理ツールのSAP LeanIX(*12)は、ITアーキテクチャやアプリケーション環境の可視性を高めます。
これらのツールを活用することにより、企業はAIエージェントがどの業務プロセスに関わり、どのシステムやデータを利用し、どのような統制のもとで動作しているかを把握しやすくなります。また、実際に各社で運用する実際の業務プロセスや関連システムの情報をAIに理解させることができるようになります。
まず、AIエージェントは優先度の高い業務領域に適切に配置したい。
これをサポートするのが、SAP SignavioのProcess Consulting Agent(*13)です。業務プロセス分析に基づき、AI活用の優先度が高いユースケースの特定を支援します。
そして、野良AIは回避したい。
SAP LeanIXのAI Agent Hub(*14)を利用して、提供ベンダーを問わず全てのAIエージェント、MCPサーバー、LLMなど、企業ランドスケープ内のあらゆるAI資産を一元的にカタログ化、検索、管理、統制することができます。
例えば、組織で定義されたガバナンス基準に基づいてAIをリスク評価し、評価結果に基づいて”検証済み”とマークしたAIのみ本番環境での利用を認定するというガードレールも効果的です。今後提供予定の連携機能で、その認定を実際のMCPサーバー利用に対して適用するという形でさらに高いレベルの統制を実現できるようになります。
また、AI資産を一覧化し、その利用状況やライフサイクルを可視化・管理することで、AIの全体最適配置や乱立防止につなげることが期待されます。
また、同僚としてのAIが意図しない動きをしていないか、効率的に働いているか、ヒトが監督したい。
AIエージェントはプログラムと異なり毎回同じように動くとは限りません。
SAP Signavioのエージェントマイニング(*15)は、AIエージェントが定義されたプロセス手順に従って実行されているか、その動作経路や適合性を分析し、業務プロセスの再設計やコンプライアンス準拠性のモニタリングを支援します(図表11)。
図表11:SAP Signavio AIエージェントマイニング

更に、AIが暗黙知を理解してくれると同僚として心強い。
AIエージェントが「誤判断」や「規則の逸脱」をせず、企業のルール内で動作するための技術的なガードレールとして、組織独自のポリシーや暗黙知を対象プロセスにマッピングして構造化し、AIエージェントが従うべき行動指針として一元管理する仕組みであるSAP Signavioカンパニーメモリー(*16)も年内にリリース予定です。
こうした暗黙知の構造化と、AIエージェントが従うべき行動指針の整備は、特に日本企業において重要になると考えられます。
AIエージェントが「このサプライヤーが最も安価」と提案しても、「このサプライヤーの方が品質が良い、状況変化に柔軟に対応してくれる」などデータ化できていない選定理由があるかもしれません。営業は「顧客との関係性」、経理は「この処理には理由がある」という暗黙知で異なる判断をするかもしれません。
こうした暗黙知の実務的重要性がある場合、例えばベテラン社員を暗黙知COE(専門エキスパート)として抜擢し、コンプライアンスなどの領域のエキスパートを交えたチームを組成して、ツールを土台に暗黙知コンテキストの取捨選択・更新・維持運用と形式知化を推進することが選択肢になるかもしれません。
これらのエンタープライズアーキテクチャー情報や、実際に運用されているプロセス情報は、AIエージェントの精度向上に欠かせません。企業固有のデータがAIの精度において全てというのは周知の事実ですが、業務データだけではなく、その周辺にはどのようなシステムやサービスが関連しているのか、それらが具体的にどのようなプロセスを実行しているのか、考慮すべき暗黙知は何か、こうした情報をAIに渡すことで、企業全体の活動をミクロ・マクロの視点で理解し、 より信頼できる判断や実行につなげることができます。
■AI時代にERPを全社共通システムとして共通利用する意義
自律型エンタープライズという将来の方向性を踏まえ、改めてAI時代のERPの意義について日本企業の典型的な課題を振り返りながら考えます。
日本の強さの源泉である「改善文化」は、各部門がそれぞれ自分たちの業務を効率化しようと改善を重ねていく中で、意図せず部門間に壁を作ってしまうリスクがあります。
実際、現場による改善力が強い日本企業では、部門最適は実現したが全体最適につながっていない、という姿が多く見られます。
図表12:各部門の改善の積み重ねが陥る部分最適

欧米企業も当初は部門最適・部門システムから始まった点は同じですが、日本ほど現場の改善力が無いため、すぐに部門システムの積み上げに替わり、全社共通システムとしてERPを導入して、それを全員で共通利用するという形へと移行してきました。
全体最適の観点からERPを標準利用(Fit to Standard)していれば、データは全社で統合された整合性のある状態であるため、AIが正確に業務を実行することができ、AIの恩恵を掛け算で享受することができる点は見逃せません。
図表13:ERPの共通利用による全体最適実現=AIの恩恵を掛け算で享受

AIを全社規模で活用するには、ERPの中心部(コア)を標準状態のまま維持する「Clean Core」の考え方が重要です。SAP Cloud ERPは、統合された業務プロセス、ビジネスデータ、ガバナンスを支える基盤として、AIが業務文脈を理解し、信頼性の高い判断や実行を支援する土台になります。
独自要件や差別化につながる機能はコアへ直接作り込むのではなく、SAP Business AI Platform等を活用して拡張することで、Clean Coreを維持しながら各社固有の要件に対応できます。
一方で、これまで日本においては現場最適文化や部門独立性、属人的職人技業務や改善文化など、日本企業の成長を支えてきた特徴がERPの標準導入・利用を妨げ、結果として大量のカスタマイズやデータの汚れにつながってしまったケースが多い。
よって、今後のERP更新および導入に際しては、AIのポテンシャルを最大限に活かす観点から、ERPの標準利用がこれまで以上に重要になります。
現場が強く、現状維持の引力が働きやすい日本企業でこれを実践するには、企業の中長期ビジョンに基づく「北極星」を明確にした上で、「組織」「プロセス」「ルール」「ヒト(マインドセット)」「データ」「システム」の六位一体で取組みを推進することが肝になります。
図表14: 変革の成功要因

ERPを標準に合わせて導入しようとすると既存プロセスが障壁となり、プロセスを変えようとすると既存の社内ルールが障壁となる――こうした相互依存関係を打破するには、六位一体での取り組みが不可欠です。
単なるITプロジェクトではなく、北極星に向けた経営改革=組織能力強化の一環としてERP導入を推進することが、現場の強い日本企業においては重要です。
(北極星と六位一体変革については、事例に学ぶデジタル活用の処方箋-二章 (前編)および後編で具体的な取組み事例を交えて紹介しているので適宜参照ください)
ただし、すべての業務を無理に標準化すると、かえって競争力を損なう可能性があるため注意が必要です。
企業戦略を支えるバリューチェーンの中で、標準化すべき業務プロセスと、各社の強みとしてユニークさを認める業務プロセスを識別してマネジメントで共通認識を持ち、標準化すべきプロセスにERPを導入することが部門横断でのAI活用による持続的生産性向上につながります。
また、事業特性の異なる事業ポートフォリオを持つ企業は、
1)グローバルで徹底的に標準化する業務領域
2)事業特性毎に標準化・共通化すべき業務領域
3)競争力の源泉として差異化すべき業務領域
の3つに切り分け、自律と統制のバランスを取りながら、ERPの構え方を検討することも合理的です。
図表15: 業務領域を区分してERP適用領域を適切に判断

AI投資の費用対効果を最大化するには、“どの資産に投資するか”という観点での整理が重要になり、上記業務区分が有効です。 競争力の源泉となる業務領域には、各社の強みを活かすための内製AI開発への投資を許容する一方、グローバル標準化領域ではSAP Autonomous Suite(*3)など標準アプリケーションに組み込まれたAIを積極的に活用する、といったガードレールを設けることが考えられます。これにより、AI投資や開発・保守リソースを自社の競争領域へシフトしやすくなります。 AI投資を判断する際には、“この業務は本当に競争優位を生むのか”, “2~3年以内にERPなどの標準自律型AIで代替される可能性は無いか”、を継続的に確認する仕組みを設けることが、重複投資リスクを避ける上でも重要です。
⼀⽅で、AI活⽤を視野に⼊れたERPの価値は理解できても、既存ERPからの移⾏プロジェクトに関して、相当な時間と⼯数がかかるのではないかと懸念する経営者は少なくありません。
こうしたシステム移行についても、AIエージェント主導のクラウドERP移⾏が⾒込めるようになる点は留意が必要です。
データ移⾏、テスト⾃動化、プロジェクト管理などを担う7つのAIアシスタントにより、移⾏作業の50%効率化が想定されています。
■AI時代のヒトとAIの協業・共創
自律型エンタープライズにおいて、テクノロジーをビジネス価値につなげる鍵となるのが、ヒトとAIの健全な協業です。
ERPが実行システムから自律型AI実行プラットフォームへ進化し、ERPの利用者がヒトからAIにシフトしても、ヒトの判断がなくなるわけではありません。
AIが進化しても、会計には見積り、引当、減損、継続企業判断、リスク認識など、本質的に経営判断を含む領域があります。どこまで保守的に見るか、リスクをどう捉えるか、将来をどう見積もるかについては、ヒトの最終判断が必要です。
定型業務は自律型AIに代替されていくが、ヒトは深い業務ドメインナレッジと経験を活かして例外管理、方針設定、倫理判断、戦略的な意思決定などへ役割をシフトしていきます。
そしてAI時代には、従来の会計統制に加え、AI統制、データ統制、意思決定統制がCFO組織の役割として重要になる可能性があります。
例えば、”AIはどのルールに基づいて起票したのか”、“モデル更新は適切か”、“学習データは正しいか”、“承認ロジックは適切か”といった観点です。
そして、ヒトとAIの協業のあり方は固定的なものではなく、今後常に進化していくことが想定されます。
図表16は、AI自律化の進化をイメージしたものですが、左から右にAIの自律化度合が増すほど、焦点は「承認」から「説明責任」にシフトしていくことが想定されます。自社および各業務に適したAIの自律化度合、AI自律化度合を踏まえたプロセスや組織の在り方を考え、デザインするのもヒトになります。
図表16:ヒトとAI協業モデルの進化

常に学習し続けること、変化への柔軟性、そして変化を自分の成長の機会と捉えるマインドセットの醸成が、大切になってくるように思われます。
AI時代には、企業の中でAI、データ、KPI、シミュレーション、自動意思決定が大量かつ高速に動くことが想定されます。 その際に重要になるのが、「何が企業にとっての真実なのか」という共通認識です。
例えば、売上、顧客、利益、ESGなどの定義がバラバラだと、AIも経営も誤判断する可能性があります。
そこで、ERPが「自律型AI実行プラットフォーム」と「業務のガバナンス基盤」としての役割を果たすと同時に、数値を軸に企業全体を俯瞰できる立場のCFO組織が、AI実行基盤としてのERPを包含した企業共通基盤としての組織能力の整備を関連部門と協業しながら推進し、企業全体を 「信頼可能な意思決定システム」 として再設計・運営していく役割が期待されます。
図表17: 組織能力の整備とAIによる事業価値スケール

ここまで、「自律型エンタープライズ」がもたらすヒトとAIの協業・共創について、複数の観点から考察してきました。
本稿が、各社の状況を踏まえたAI時代のERPの役割およびヒトとAIの協業・共創モデルを検討する上で一助になれば幸いです。
*1 SAP Cloud ERP: AIを組み込んだクラウドERPで、財務、調達、サプライチェーン、人事などの主要業務を統合し、業務横断・バリューチェーン横断で企業活動を支えるクラウドERP
*2 Joule Work
*4 インダストリーAI
*6 RISE with SAPやGROW with SAP
*7 SAP Knowledge Graph (Joule、SAP Business Data Cloud、Joule StudioなどのSAPソリューションで活用される機能です。利用可能な機能や提供範囲は、対象ソリューションやリリースによって異なります。)
*8 SAP Domain Model ※2026年9月時点ではEarly Adopter Careで提供されており、一般提供は2026年第3四半期を予定しています。
*9 SAP-RPT-1.5 (SAP-RPT-1の次世代モデルであり、SAPデータにおける “表形式データ用基盤モデル。)
*11 SAP Signavio
*12 SAP LeanIX
*13 SAP Signavio Process Consulting Agent
*15 SAP Signavio エージェントマイニング ※一般提供は2026年第3四半期を予定しています。
*16 SAP Signavio カンパニーメモリー ※現在、Beta版として提供されています。
参考文献:ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか 村田聡一郎著 プレジデント社
