1.はじめに
5回に分けてグローバル人事ガバナンス(本社が直接的または間接的に海外現地法人へ指示を出し、その結果を本社で集約している施策)に関して記述する本シリーズの第4回目となる本稿では、「海外現法での人事オペレーションの適正化」に関して、比較的現地で課題が発生しやすい「評価・昇格」、「報酬」、「労務管理」の3つのテーマに分けて、筆者が海外で遭遇した実際の事例を基に、その課題と要因、具体的な打ち手を紹介する。
2.経営をグローバル化する上での最大の課題
一般社団法人日本在外企業協会が2017年に発表した「『日系企業における経営のグローバル化に関するアンケート調査』結果報告」では、日外協会員企業232 社を対象にアンケートを実施し、「グローバル経営に関して最大の課題」を聞いたところ、 「グローバルな人事インフラの構築」 が、「グローバル人材の確保・育成」についで2位の回答となり、人事オペレーションの安定化を支援する基盤の必要性が浮き彫りとなった。(表1参照)
「日系企業における経営のグローバル化に関するアンケート調査」結果報告について(一般社団法人 日本在外企業協会、2017年)を元に筆者作成
グローバル全体の視点で見ると、これらの課題は以下の2つのケースに分かれる。
- 業績や役割など、人事として基軸とするべき視点が欠落したオペレーション(主にアジア、中東などの新興国)
- グローバル共通での統制の取りづらさ(主に欧米などの先進国)
本稿では、①のケースに関し、3つのテーマに分けて事例を用いて記述する。事例は、筆者が現地で経験し、直面してきた数多くの事例の中で、企業や業界に関係なく共通性の高いものを選んでいるので、一般的に起こり得る話として読んでいただきたい。
3.テーマ1:評価・昇格
- 国 :東南アジア某国
- 業界:住宅設備メーカー
- Aさん(人事コンサル):日系住宅設備メーカーの人事制度改定プロジェクトを支援している人事コンサルタント
- Bさん(製造本部長):ベテランの製造本部長で、会社の立ち上げから参画している重鎮
- 状況: Aさんは、プロジェクトの冒頭に現状分析を行うため、社内のキーパーソンであるBさんにインタビューを行っていた。Aさんが「評価関連で何か課題を感じていますか?」と聞くと、Bさんは、「評価は全く課題が無いよ」とはっきりと言い切った。これまでの経験の中で、全く評価に課題が無い、と言い切れるケースが無かったため、不思議に思ったAさんが、「全く問題が無い理由を聞かせていただけますか?」とBさんに聞いたところ、「公平でしょ?」との回答であった。一方で、「良い人材が退職する」「人がなかなか育たない」という課題をBさんは感じており、「研修を増やして対応したい」と考えていた。
- 学び:
- 国や地域によって社員の価値観は異なり、故に「悪気無く」運用を捻じ曲げていることは多々見られる。本ケースにおいては、「公平性」に対する考え方が「業績に対して公平」なAさんと「支給金額に関して公平」なBさんで異なっており、Bさんが制度思想と異なる運用を悪気無く行っていることが見て取れる。
- 運用の捻じ曲げは歪みを生み、何かしらの問題を惹起する。このケースでは、高業績者の退職率が課題として顕在化している。
4.テーマ2:報酬
- 国 :中東某国
- 業界:自動車メーカー
- Cさん(HR統括VP):日系自動車メーカーの中東域統括会社で人事機能を管掌
- Dさん(HR OP VP):統括会社の現地人事トップ(VP)
- 状況:現在、このメーカーの賞与は各国の市場水準ベースで、業績の観点は取り入れられていない。Cさんは、域内のVP以上の賞与原資決定ルールを統一するプロジェクトを立ち上げ、域内全体の業績をVP以上全員の賞与に反映する、というルールを素案として設計した。Dさんにこの素案を話したところ、「各国の法制を確認する必要があるが、少なくとも本人からの同意の署名が必要」とのことで、その同意署名を各VPから取得するよう、CさんはDさんに指示を出した。 2週間ほどしてDさんからCさんに、「署名が集まった」との報告があったので詳しく話を聞くと、署名は全て反対の署名であるとのことだった。後で、裏で情報を取ったところ、Dさんが全VPに反対するように煽っていた。
- 学び:
- 20‐30年前、東南アジアを中心としたアジア諸国や中東などは貧困だったため、高齢の社員は貧乏の辛さが身に染みている。また、これまで給料が下がった経験がほとんどないため、昇給賞与が停滞することへの反発が強い。
- 日本は「豊かな国」であるからだけでなく、歴史的な美学や道徳的な価値観、バブルの崩壊を始めとした過去の経済的変遷から、昇給の見送りや減給に寛容だが、そうではない国もある。
- 生活水準や文化水準が低い国では、ルール自体への順守意識が低く、法律などによって罰則が明確に規定されていない場合、ルールを逸脱した行動を簡単にしがち。
5.テーマ3:労務管理
- 国 :アジア某国
- 業界:日系自動車部品メーカー
- Eさん(人事コンサル):日系自動車部品メーカーの人事制度改定プロジェクトを支援している人事コンサルタント
- Fさん(HR Lead):現法人事のトップ
- 状況:Eさんは、将来的な業績低下に向けて総労務費を抑えられるよう、報酬制度の見直しを行うよう、社長から指示を受けた。 現地人事のトップであるFさんや現地人事メンバーと共に、いくつかの手当類の段階的引き下げや給与レンジの運用強化などを素案として設計したところで、労働組合とのコミュニケーションを開始した。労働組合とは毎年の労使交渉で話をするくらいで、労使交渉でも他社の妥結内容をベースとして最終合意案を作り、これまで揉めたこともなかったため、本報酬改定もそんなに揉めることはない、と考えていた。しかし、労組側は、「これだけの大きな改定をするのに、これまで相談が無かった」「この改定では他社より報酬が低くなるから受け入れられない」と真っ向から反対し、ストライキを残業拒否からスタートさせた。
- ■学び:
- シンガポール以外のアジア各国は労働者保護の姿勢であり、少しでも処遇が下がる場合は従業員の署名が必要となることが多い
- ゆえに、社員や労働組合に対しても、会社の存続の重要性やそのために必要な要素、報酬の考え方などを適切に教育し管理することは、健全な経営に必須の活動である
6.想定される打ち手
ここまで記載した事例を読み、海外現地法人に完全にオペレーションを任せきる危険性を感じていただけたと思う。繰り返しになるが、これらは筆者が経験した数多くの事例の中から特殊なものを選んでいるわけではない。日本では考えられないほど高確率で、同様のケースがあちらこちらの日系企業やグローバル企業で発生していると理解してほしい。 これらの問題を完全に回避するのは非常に難しく、時間がかかることは容易に想像できる。しかし、内容によってはグループ全体の経営を揺るがすほどの問題となる可能性を秘めており、必ず手を打たねばならないと思料する。想定される打ち手としては、まずは喫緊で問題事象を未然に防ぐための短期的な打ち手と、企業統治、あるいは人事機能としての考え方を全関係社員(人事に加えて各部門の管理職等も含む)に伝えて意識改革を図る、中長期的な打ち手の二つに分けられる。 以下に、各打ち手の一例を記載する。
短期の打ち手:HR ISの活用による不適切な運用や取り扱いの防止
前述したように、ルールを逸脱し、歪な運用を行っている背景には、民俗的な価値観まで関与していることがある。そのため、「これをやってはいけません」とルールを作っても、それが守られる可能性は極めて低い。故に、システムで制御して強制的に阻止することが、シンプルかつ最も強力で即効性のある解決方法と考える。 図2は弊社製品SAP SuccessFactorsの報酬管理の画面である。このようにインプットとなるデータを特定し、人事や管理職が調整できる昇給率や賞与の幅を限定することや、予算越えをさせないようにシステム上の制限をかけることが可能となる。
参考:図2はSAP SuccessFactorsのデモ画面
中長期の打ち手:現地人事人材および現地社員の育成
HR ISを導入・活用し、システム上で強制的に制限をかけることによる不適切な運用の防止は、そのシステムの対象範囲内では機能するが、それ以外の部分では有効性は無い。一方で、これまで記載してきたような価値観の違いやミス等による不適切な運用は、どのような領域でも起こり得る。 故に、運用に携わる人材が正しく制度や仕組みを理解し、並行して倫理観を持って決められたことを順守することが、中長期的な対策として重要と思料する。 そうすると、本連載第3回の「中長期的な打ち手」で記載した従業員の意識改革(チェンジマネジメント)が有効となる。ぜひ第3回の内容もご覧いただきたい。
終わりに
今回は、海外現法での人事オペレーションの適正化に関する課題や要因、短期と中長期的な打ち手を記述した。しかし、今回記述した事例や内容は、比較的多くの企業で発生している事例や内容であるものの、各社の状況によって発生する事象や問題は異なる。もし海外現法の人事オペレーションの適正化について課題や悩みをお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひSAPにご一報いただきたい。単に人事システムを売るだけでなく、各企業が持つ人事課題を共に解決し、志向されている人材や人事の姿の実現に伴走することが、弊社SAPの役割であると認識している。 次回は本連載の最終回となる。これまで記述してきたグローバルガバナンスの強化に伴う課題や要因、打ち手を振り返りながらそれらを総括し、特に日系企業が取るべき最大の打ち手を記述する。