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事業改革の成功はどのようにしたら実現できるのであろうか。企業全体が一つの方向を向いて、新しい目標に向かって歩みを進めるには、関係者全員が同じビジョンを描く必要がある。複雑な事業環境の中でサイロに分かれた組織同士のコンフリクトを解消するには、より強いリーダーシップと、時には強権的なトップダウンが求められる。「海外の企業に比べ、サラリーマン社長が多いからダメなんだ。」日本企業でよく聞かれる言説である。では、経営のリーダーシップの強い欧米の企業は、より成功しているのだろうか?
最近、ハーバードビジネスレビューにこんな記事が出た。
 「改革疲れ」している従業員をいかに前向きにするか
ガートナーの研究部門のキアン O. モレイン氏は、トップダウンが過ぎるDXの現状を憂い、意思決定に従業員を巻き込み、計画を従業員に任せ、経営との会話を通じて、従業員が自主的に推進してゆく姿を“オープンソース化”と表現し、成功の秘訣を語っている。
日本企業にとって事業改革のヒントになるような話であるが、実際にこのように進めるには、どのような考え方で、どのように組織を動かし、どのような調整を経て、どのようにプロジェクトを進めていったいいのだろうか。そんなさなか、まさに、SAP顧客の一社で日本企業らしい変革の成功事例をお聞きすることができた。現場の苦労も含めて、皆様の参考になるような事例としてご紹介したい。

丸紅ITソリューションズのDX

MISOL増田氏と成田氏
MISOL増田氏と成田氏

丸紅 IT ソリューションズ株式会社は、丸紅グループの IT 部門子会社として、システムインテグレーション、クラウドサービス提供などを提供する IT サービス企 業である。SAP のパートナーとしても歴史が長く、10年以上にわたって、SAP の導入サービスを提供している。
約400名の従業員で丸紅グループの営業範囲としての全世界をカバーし、DX の波をとらえて成長をしている。この丸紅 IT ソリューションズ(MISOL)は、2019 年に S/4HANA Cloud による自社のDX を決断した。自社の SAP リソースを中心に導入を進め、コロナ禍による混乱による遅れもあったものの、2021 年 1 月に無事 Go-Live を迎えた。
夏真っ盛りの2023年7月4日、MISOL上野本社にて実施したインタビューをもとにこの様子をまとめた。インタビュー で経営管理部の増田氏は「ウチはSAPに慣れた人が多くて、現場の協力が得られました。苦労はありましたが、他社のみなさんに比べたらスムーズだったのではないでしょうか。」と語っていたが、実態はどのように進められたのだろうか。

DXに至った課題

以前MISOLの経営は、丸紅グループ内の複数の子会社共有のAS/400システムで管理されていた。旧来のシステムによる制約で、不自由なUIによるオペレーションに甘んじており、ほぼすべての伝票・決裁は紙で回されていた。
「PCのプライバシーフィルター一枚買うのも決裁文書とハンコなんですよ」とは、先の増田氏の言葉。承認印を押すための出社などもあり、決算の時期になると承認作業(=ハンコ押し)のために関係者全員が一堂に会す必要があったようだ。前々から業務のペーパーレス化は議論されていた。
電子帳簿保存法が決まるとIT環境の刷新が真剣に議論され、加えて工事進行などの新収益認識基準が2021年4月に適用と決まると、システムの更改は避けられないものとなった。グループ共同で使うAS/400上でこれを実現するには、多大な開発コストがかかる。今後このような改変があるたびにコストがかかる共用システムはMISOLの自由な事業管理の妨げになることが予想されたため、MISOL独自のITシステム基盤の構築の検討が始まった。

実際の検討を進めると下記のような課題が理解された。

  • 社内業務の分散
    AS/400導入から30年の間に個別最適化された業務は、分散化していた。
    同様な業務が組織ごとに複数のプロセスで実施されており、歴史を重ねたプロセスは、今となっては理由もわからない作業にまみれており、全社で見ると非効率さが否めなかった。
  • 不十分な管理会計
    会計処理自体は適切に実施されていたものの、管理会計のプロセスは十分ではなかった。設計した時点では組織の比較を行うための機能しか想定されていなかったのであろう。個々のプロジェクトの収支比較などを行うことができなかったため、プロジェクトの採算性を評価するためのデータ処理は手作業となった。この作業に毎年800人日という多大な稼働がかかっていた。
  • 新収益基準とプロジェクト会計への対応
    上記に述べた新収益基準に適用するためには、進行するプロジェクトの状況を適切に記録し、会計処理する必要がある。個々のプロジェクトの記録のために年間約500人日の稼働がかかっており、それを新収益基準に合わせた処理するためには、加えて500人日がかかると推定された。
  • リアルタイムでの採算性把握
    今後のMISOLの事業成長のためには、迅速な管理会計とそれに基づく経営判断が重要である。プロジェクトの原価計算、事業計画と実績の差分管理、事業間の業績比較など様々な採算性の把握ができない状況では、マニュアル作業が必要になり、多大なコストがかかり、さらにリアルタイム性が損なわれる。なによりもリアルタイムの採算性把握は重要な課題であった。

これらの話は、MISOLのような人材を活用する事業では共通する悩みなのではないだろうか。しかし、なんとなく毎日の業務で「面倒だ」の一言で見過ごされてしまう場合も多い。一口に500人日の稼働といっても、実際はかかわる人員も多く、その実態を表現するための調査と積み重ねだけでもなかなかの作業である。現場の課題感を見過ごさず、視覚化できたことがMISOLの改革にとって重要な一歩であったと推察される。

 DXプロジェクトの開始

さて、上記のような環境における経営陣の切実な課題感をもとに、MISOLではDXプロジェクトの必要性が議論された。当時の徳田社長(現丸紅I-DIGIO ホールディングス株式会社代表取締役社長)を中心とした経営陣がこれら課題の解決のためには漸次的なIT改革では効果がでないことを認識し、本格的な全社DXプロジェクトとして発足した。
まず、経営管理システムをどのようなITソリューションで構成すべきか、議論された。従来からSAPパートナーとして活躍していたMISOL社にとって、熟知したSAPのソリューションは一つのベンチマークとなったようだ。SAPとしてはありがたいことに、SAPの最新ソリューションSAP S/4HANA を中心に複数のソリューションを比較検討いただいた。最終的に、MISOLの現状に最適なソリューションとしてSAPをご選択いただくこととなった。
また、MISOLはこれまでグループ共通のシステムを利用していたため、社内にITシステムの運用、特にインフラ部分の運用をする人員がいなかった。現在のITシステムのクラウド化を見越したような組織で運用をしていたわけである。導入した後の運用体制を考えると、オンプレミスではなくクラウドソリューションを選択するのは、ごく自然な流れであったそうだ。
もちろん、ERPの導入は、効率の悪い現在の業務を抜本的に見直す良い機会である。上述したように業務プロセスが分散していたMISOLは、業務プロセスの統合化を目指して、Fit2Standardによるプロセス改革を企画した。そのようなプロセス統合化を思い切って推進するために、パブリッククラウド版のSAP S/4HANA Cloudを選択した。
パブリッククラウドはあらかじめ機能がビルディンブロックとして組み立てられており、従来のERP導入のように、業務に合わせてアドオンを開発するようなやり方ができない。業務側にとってはユーザーとしてITに要求を言うばかりでなく、自身の業務の調整を要求される。このため、忙しい通常業務を行いながら導入プロジェクトに積極的に参加せざるを得なくなる上に、その先では「これまでのやり方」が通用しなくなるわけである。これだけ聞くと、踏んだり蹴ったりのようであるが、共有できた課題感を中長期的に解決してこそ改革である。難しい決断も、経営側の問いかけに全社員が応える形でクラウドERPがスムーズに決定された。導入方針の検討などを経て2019年夏にソリューションの構成などが決まり、本格検討が始まった。

コロナ禍でのプロジェクト

最初に、関係する各部署から業務の調整をするメンバーが抽出され、10名程度のユーザー部門が構成される。それに対してIT部門とSAPのソリューション部門からメンバーが選定され、約20名の少数精鋭によるDXプロジェクトが構成された。
しかし、導入作業が佳境に入った2020年春、プロジェクトにとっては不幸なことにコロナ禍によるロックダウン状況に行きあたってしまう。IT企業であるMISOLはもちろんZoomなどのリモートツールについて習熟していた。通常の業務もリモートで進めることが可能であったが、業務の全てをリモートで行わなければならないというのは想定外であった。意識合わせに苦労しながらも、導入プロジェクトのキックオフを迎えたそうだ。

この後、MISOLのプロジェクトは苦労の連続となる。
Fit2Standardでの導入は、業務側とIT側が協力してワークショップを行い、合意積み重ねることが必要であり、全社でのコミュニケーションが最も重要である。プロジェクト当初は業務側・IT側でSAP S/4HANA Cloudの機能を確認しながら、導入の可能性の確認と業務変更の方向性などのすり合わせを進めていた。当初、Fit2Standardによる検討は存外スムーズに進んだかに見えた。
しかし、要件定義として定めていた3か月の終盤になってくると雲行きが怪しくなった。実際の業務を細かく検討すると、いくつかの部門で業務変更による手間が増えることが分かった。よくあることだが、単なるITシステムを入れ替えるために作業が増えるというのは、現場にとっては受け入れがたい。そのため11月までで予定していた要件定義は2020年の3月まで延伸した。
なんとか要件定義は完了したものの、導入作業でもDXプロジェクトは困難を極めた。IT側と業務側の意思疎通の問題もその一因だという。「たとえば、言葉がわからないんですよね。」と増田氏は当時を振り返る。
“FI“などという聞いたことのない言葉が飛び交い、それまでSAPの知識がなかった経理は納得する以前に、理解ができない。IT側は丁寧に説明しようとするものの、どこまで何を説明したらいいか、わからない。社内といえど、繰り返し何度も会話をしてみて、初めてお互い納得できるようになったようだ。当然そこまで持ち込んで意識を合わせてゆくのに時間がかかり、プロジェクトは再度の延伸を余儀なくされた。

当初のワークショップでは、業務・IT側ともに自分事ととらえきれてなかったのではないか、と成田氏・増田氏が口を合わせて語っていた。改めてプロジェクトをリードしてゆく難しさを感じさせる一言である。
そして、成田氏は語る。「最初の進め方が表面的だったかもしれないですね。業務が変わることによる影響はどんなものなのか、現場では負荷がどのように変わるのか、業務側はそれをどうとらえるのか、、、、そういったところまで、踏み込んで見れていませんでした。」

移行に向けた困難

当初、システムは2020年の夏に運用開始を目指していたものの、最終的な稼働は2021年1月まで伸びることとなった。主な理由は、現場の習熟度が追い付いておらず、移行のやり直しが発生したことによる。
この間MISOLの財務は旧AS/400とSAP S/4HANA Cloudが並行稼働し、答え合わせをしながら業務を進めていたという。システムが変わったことによる計数の見え方などの変化もあり、確からしさの検証なども必要になったため、かなり手数がかかったそうだ。その中で下記の3点の繰り返しを根気よく続ける必要があった。
 ① 現場の習熟度を上げる
 ② 決算の正確性を高める
 ③ 課題のつぶしこみ
課題は、データ移行のデータそのものの問題や、人の作業によるものなど様々な課題が見えたという。これはSAPパートナーとしてのMISOLの貴重な経験になっているようだ。
そして、このプロジェクトの終盤新しい業務の様子も見えてくる、そして以前のシステムではもう業務ができないことが実感として伝わってくる。「決算ができない」というリスクと恐れは、全社を突き動かした。それがSAPを使って、決算を絶対にやっていくのだという”決意”となり、DXプロジェクトから社内全体に広まっていった。
その場に至って、様々なSAP知識を持った人々があちこちから集まり、自主的にサポートをしてくれるようになった。まさに冒頭の記事にあったようなオープンソース化されたプロジェクトとして、全社が動き出したといえよう。

ところで、何度か行われたプロジェクトの変更の判断について、どのような意思決定をされたのかお聞きした。DXのような全社プロジェクトの場合、特に導入作業のような注力した活動期間、ちょっとした失敗が社内の批判を招くことはよくある。スケジュールの延伸のような判断は、負の感情を巻き起こし、足のすくい合い、政治的な駆け引きになりがちである。
しかし、増田氏の答えは意外なものであった。
「リスクとして決算ができない、という事実があるわけです。それとスケジュールの問題を比べて、どちらを取るか、プロジェクトで議論しただけです。」
最終的に経営を含めたステアリング・コミッティによってスケジュールが変更された。MISOLのプロジェクトが、理性的、かつ適正にすすんだことがこのことからもよくわかる。
こうやって、約1年間の導入活動により、無事2021年1月にGo-Liveを迎えた。
社員だけで構成したプロジェクトに外部リソースも迎えて活動したが、それでものべ30数名程度でプロジェクトを完遂できたのは、MISOLのプロジェクトに対する深い経験を物語る。

現在のITシステムと運用状況

MISOLは、SAP S/4HANAのモジュールとしてFI/CO/SD/MMに加え、プロジェクトを管理するPSを導入している。クラウドERPを中心としてBTPに支払いなどのAPIを定義して外部システムとの連携を行い、リアルタイムで業務の連携が行える環境を構築した。
プロジェクト情報は、外部作成したワークフローツールとBTP上に開発した勤怠入力により、即日で原価管理が行われ、新収益認識基準に従った収益認識がなされる。これらを従来のように組織ごとで見るだけでなくプロジェクトごと、などの複数の視点で分析することが可能になり、リアルタイムのデータドリブン経営に寄与できるようになった。
複数に分散した業務プロセスについては、26種類という大量の業務プロセスを削減して全社の事務作業に関わる工数を減少させた。これに伴って冒頭に述べた紙ベースの作業が減ることで、リモートでの業務対応も完璧なものとなった。会計処理にまつわる入力やデータ管理の手数もおよそ70%削減し、管理のためにかかる業務工数削減によって、社員のモチベーション向上にもつながった。
また、なによりもリアルタイムでプロジェクトの採算性が把握できるようになったことによって、様々な施策が即座に判断し実行できるようになった。従来対応が遅れることでより難しくなっていた契約や債権債務に関するトラブルなどは、月中に把握できるようになったため、素早い解決が可能になった。2021年中だけでも13件の課題解決がなされ、今後はこのような課題解決の施策を増やすための工夫を考えているとのことであった。
また、これから始まる消費税インボイス制度についても自動対応できるとわかり業務部門の皆様にも安心してSAP S/4HANA Cloudを使っていただいているようだ。

今後の方策

導入して1年程度たった状態で、業務のスピードは上がってきているという実感があるというが、SAP S/4HANA Cloudを使いこなしている状態ではないと成田氏は評価している。業務プロセスが整備されたとはいえ、実際に動かしてみるとすべてが想定通りというわけではないし、導入しきれていない機能もある。さらに半年ごとにアップデートされる機能もあるため、SAP S/4HANA Cloudの利用については、まだまだ社内で習熟が必要な状態であるという。
世界のSAPユーザーのうち成功者は、日常的な変革実現をプラクティス化して業務効率性を高め続けている。MISOLにとっても、さらにこれから継続的な変革を推進してゆくのはハードルが高い。ERP導入を行った後、業務改革を進めるのは各部門が主人公になる。受発注処理、契約管理、請求管理などの日常業務の中で、非日常の改革を議論する必要がある。当然、システム機能に対する理解や、現在のプロセスの分析、他部門との調整、業務を変更に対する効果と影響度の検討など学ぶ必要のあることは多い。しかし、今回の経営の意志と現場の気持ちを一致させてプロジェクトを完遂させた経験は、間違いなくこれらの課題を乗り越える力になるであろう。また、SAPパートナーとして、これからの顧客のプロジェクトの伴走者として卓越した力を発揮するのではないかと考える。

MISOL本社上野フロンティアタワー
MISOL本社上野フロンティアタワー

MISOLが現在進めている改革の一部を伺った。SAP Analytics Cloudを用いた分析によって先のプロジェクトの精緻な予測や、部門の業績把握の検討を進めている。また今後の議論によって、統合化された業務をさらに進めてゆくことになるであろう。こういった改革によって事業全体の統制を進めて、MISOLという会社が一体として事業を推進してゆく形をつくっていきたいという。
従来の日本企業の社内IT部門は、ユーザーである業務部門から要求を投げられ、その下働きをする役割と思われていたのではないだろうか。しかし、IT部門として活動する成田氏は「新しい機能をどんどん使いたいですね。」との更なるチャレンジを語る。リーダーシップをとって事業を変えてゆく、会社の主役としてのITが実感される一言であった。
最後に伺った「SAP S/4HANA Cloudの俊敏性に期待しています。」という言葉に、SAP社員として身の引き締まる思いであった。