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「現場を変える、会社を変える、未来が変わる。~ Future-Proof Your Business~」をテーマに、9 月 22 日に The Okura Tokyo で開催されたSAPジャパンの年次カンファレンス「 SAP NOW Japan 」。特別講演に登壇したトヨタ自動車株式会社 情報システム本部 IT 変革担当 CPL の岡村達也氏は、2023 年 4 ~ 6 月の連結決算で営業利益 1 兆円超と過去最高を更新した同社においても、社内 DX については大きな遅れを感じていたと語ります。同社が抱えていた課題とその対応策を「トヨタ自動車 DX の覚悟 -モビリティ・カンパニーへの変革」と題し、 DX の現在について解説いただきました。


◎登壇者 トヨタ自動車株式会社 情報システム本部 IT 変革担当 CPL 岡村達也氏

“ DX の道” の始まりは豊田前社長のひとことから

1935 年の設立以来、さまざまな変化に対応してきたトヨタですが、2018 年の世界の家電見本市( CES )では当時の社長であった豊田章男氏が「自動車産業は 100 年に 1  度の転換期」と危機感を口にし、「トヨタはカーカンパニーからモビリティ・カンバニーになる」と宣言しました。2023 年 4 月には新社長に佐藤恒治氏が就任して、新経営体制をスタート。豊田社長が浸透させてきたトヨタが大切にすべき価値観や商品と地域を軸にした経営を継承しながら、モビリティ・カンパニーへの変革スピードを加速しています。

ひるがえって、DX はどうでしょうか。100 年に 1 度の大変革期、生きるか死ぬかの戦いにおいて、既存ビジネスのヒト・組織、ルール、プロセス、システムを抜本的に変えていく必要があります。岡村氏は「 DX はその 1 つの手段に過ぎません。トヨタが大事にしている価値観や振る舞いを重視しながら、デジタル化を進めています」と語ります。

具体的には、2020 年に始まったコロナ禍をきっかけに、出社が前提だった従来の働き方から、リモートワーク前提に転換。スマートフォン、クラウド、チャットツール等の環境を整備し、働き方を大幅に前進させました。2021 年 3 月にはトヨタ自動車労使協議会において、当時の豊田社長が「デジタル化についてはこの 3 年間で、世界のトップ企業と肩を並べるレベルまで一気に持っていきたい」と発言。ここからトヨタの DX が大きく動き出したといいます。

「世界トップを目指すという社長の発言を聞いて驚きました。この一言が社員の意識を変えるきっかけになったことは間違いありません」(岡村氏)

その後、「デジタルネイティブにやらせよう!」のかけ声で始まったトヨタの DX 。豊田氏の発言から 2 年半でどこまで到達できたのか。岡村氏は DX の道を「マインドを変える」「 IT 環境を変える」「ルールを変える」「プロセスを変える」の 4 つに分け、それぞれについて振り返りながら、現状を語っていきました。

役員を含めた DX マインド・リテラシーの全社教育を必須化

“ DX の道”を阻むのは、どの企業にも共通するデジタル化に乗り遅れた「アナログ化石世代」です。トヨタにおいても巨大企業であるがゆえに、アナログ化石世代が大きな壁となりました。「チャットでなくメールか電話で連絡してくれ」「情報をオープンにするなどあり得ない」といった声が飛び交い、デジタルネイティブ世代の若手を困らせたといいます。

そこで、リテラシー強化策として「今さら聞けない Teams 講座」を開講。座学によるレクチャーのほか、ハンズオンでは若手がベテラン社員にマンツーマンで操作説明を実施しました。結果的に述べ 1,000 名超が受講する人気講座となり、募集をかけると役員、部長、工場の課長クラスで満席が続出したといいます。

マインド変革の加速に向けては、コミュニケーション心得や働き方ガイドを作成。デジタル人材として活躍したい人には 22 種のデジタル人材像を明示し、進むための道筋を示しました。さらに、デジタル人材の分類に応じたトレーニング体系も充実させました。

「トレーニング体系として、ソフトウェア開発やデジタルソリューションをつくる人材に向けて、『市民開発』と『 DIG( Digital Innovation Garage )』を用意しました。市民開発はいわゆるノーコード/ローコード開発のことで、現場をよく知る社員が、自らの職場課題を解決するためのアプリを開発することを意識付けました。DIG は、現場がデジタルシステムを開発して改善するためのリスキリング教育、人材育成のことで、一時的に専門的なトレーニングを積み、現場に戻ってから後輩の育成に取り組んでもらっています」(岡村氏)

こうしたマインド変革・リテラシー強化は役員・本部長、管理職、社員全員の必須とし、全員活躍へステップアップしていく方針だといいます。

“ DX の道”を歩きにくくしていたガチガチのルールを変更

また、DX の妨げとなっていたのは、同社における安全性一辺倒の厳格なルールでした。構内はスマートフォンの利用 NG で撮影厳禁、外部との情報連携は極力抑制、PC の持ち出しやクラウド利用もNGなど細かいルールがありました。それらのルールは何年にもわたり追加されてきたもので、成り立ちすらわからなかったものもあります。結果として環境が変わっても思考停止状態が継続していた状況でした。そこで、新しい働き方や環境に合わせてゼロベースでルールを見直しています。

「ルールの見直しを始めると、案の定言われるのが“セキュリティはシステム側で担保してくれるでしょ”という声です。もちろん、システムで監視・チェックはしていますが、それには限界もあります。最後は人ですので、仕組みとリテラシー・モラルの両面で守る考えを徹底しています」(岡村氏)

脱レガシーシステムに向けて、順次モダナイズを実施

トヨタには現在、巨大で個別最適化された基幹レガシーシステムが約 800 存在しています。縦割り組織で長年にわたり継ぎ足してきた“秘伝のタレ”のようなシステム群は一朝一夕に変えられず、業務側もシステム側も限られた伝承者しか理解できません。モビリティ・カンパニーに向かうためには、既存のレガシーシステムを活用しながら、プロセスやオペレーションを変えていく必要があります。

このジレンマを解消するため、同社では「データオープン化」と「モダナイズ・スリム化」の二刀流を掲げています。データオープン化とは、縦割り組織でレガシーに眠っていたデータを全社にオープンして情報格差を解消すること。モダナイズ・スリム化は、ビジネスの変化に合わせて優先度を決め、ヒト・モノ・カネの観点で新たな挑戦へのリソースを創出することです。

しかし、現状はその理想からは遠い状態だといいます。

「現状のトヨタは組織の力が強く、他の部署のデータを使うだけでも、誰が、何のために使うのかを明示する必要があり、依頼書が飛び交い、調整会議が発生します。データは組織のものであることを総論では受け入れているものの、現場に行けば行くほど、自部署のデータが勝手に使われることを恐れ、誤った意思決定をされた場合は誰が責任を取るのかと躊躇してしまうのが現実です」(岡村氏)

そこで現在、情報システム本部が取り組んでいるデータオープン化のための仕掛けが、「データ図書館」と「情報ポスト」の 2 つです。データ図書館は、誰でもいつでもデータにアクセスして検索・利用ができる環境です。情報ポストは、商品軸(クルマ)で情報の蓄積や交流ができる場所のことで、リアルとバーチャルの融合を目指しています。

こうした取り組みにより、プロセス変革とセットで脱レガシー化を進め、最新技術で順次スリム化を進めていく方針です。

組織を超えた少数精鋭のDXチームでプロセス変革にトライ

最後のプロセス変革ですが、トヨタはプロセス、システム、人材、組織、ルールが鎖にようにつながっているため、どれか1つを変えようとしてもそれを阻害する力が働き、前に進んでいませんでした。例えば、2020 年に会計システムとして SAP S/4HANA を導入したものの、現場の巻き込みが不足していたため、前後の部署の業務や現状のプロセスを変えることができず、結果として膨大なアドオン開発を余儀なくされた苦い経験があります。

その経験を活かして現在進行中の調達ソリューションである SAP Ariba の導入では、現状の調達パターンで限定的に開始し、成果を見せながら段階的に新しいプロセス、システムに引っ越す形でプロジェクトを進めています。

また、プロセス変革に向けて現在行っている取り組みは、会社全体の変革を担うチームによる改善です。技術、生産、営業、管理などの部門から 9 名の DX 領域代表を選出。代表者による変革チームが、将来トヨタは生き残れるのか、どこに進むべきかなどを、経営層や現場の意見を取り入れながら議論を重ねています。

この変革チームで最初に実施したことは、将来に対する危機感の醸成でした。トヨタには改善の文化があり、職場の中で生産性を高めることは得意です。しかし、成功体験にしがみつき、改善を積み重ねるだけでは将来が危ういという結論に至りました。

「トヨタが大切にしてきた改善は否定しませんが、目の前の課題に向き合うだけで 2030 年の北極星にたどり着けるかといえばそれは別の話。愚直な改善に加え、大胆な変革を進める必要性を共通理解に 9 人のチームが北極星を定め、社内を巻き込みながら会社を動かすうねりになることを期待しています」(岡村氏)

デジタル化の先にある変革へ、挑戦は続く

最後に岡村氏はデジタル化の先にある変革に向けて挑戦は続くと語り、講演を締めくくりました。

「多くの社員の意識や行動は徐々に変わっています。最初は慎重ですが、いったん走り出すと粘り強さを発揮するのがトヨタですので、DX への挑戦を続けていきます。日本にはトヨタと同じような悩みを持つ企業は多いと思いますので、みなさんとも協調しながら、日本企業全体を元気にできたらと思っています」

講演後は、岡村氏とSAP ジャパン バイスプレジデント Chief Sustainability Officer 兼 自動車産業統括本部 本部長の水谷篤尚によるディスカッションが行われました。

まず水谷からは、「業績だけを見れば絶好調のトヨタ。本当に危機感が?」という疑問を投げかけました。しかし岡村氏は、「サプライチェーンやサステナビリティの問題などで、今やトヨタ単独では勝負できない時代に突入している。クルマの未来を予測するのも不可能で、慢心の気持ちが最大の敵。ビジネスの変化に対応するためにも DX は重要なカギになる」と語っています。

さらに「 SAP への期待は?」という水谷の問いに対して、岡村氏は「日本の企業に寄り添い、“ SAP ジャパン”としての存在意義を発揮して欲しい」と語り、セッションは幕を下ろしました。

水谷篤尚 SAP ジャパン(写真左)  岡村達也氏 トヨタ自動車 (写真右)

世界のリーディングカンパニーであるトヨタであっても、DX が道半ばであるということに、意外な思いを抱く方も多いのではないでしょうか。あらゆる観点から改善策を見つけ、着実に取り組みを進める同社の考え方は、多くの日本企業の参考になりそうです。