企業は今、労働人口の減少などによる社会構造の変化や、働くことに対する価値観の多様化など、複合的な課題への対応に迫られています。その中でキーとなるのが、生成AIなどのテクノロジーを活用した人事戦略です。人事部門はこれからの時代、どのような価値観をもち、どういった戦略を立てて生成AIやデータなどを活用していくべきなのでしょうか。
本記事では、2024 年 5 月 17 日に日本の人事部主催で開催された「HRカンファレンス2024春」内のパネルディスカッション「今後の人事戦略に AI という観点が不可欠な理由~社会構造の変化や働く意義の多様化から考える~」の模様をダイジェストでお伝えします。

◎登壇者

神戸大学大学院
経営学研究科 教授 鈴木 竜太 氏

パナソニック コネクト株式会社
執行役員 ヴァイス・プレジデント CHRO 新家 伸浩 氏

SAP ジャパン株式会社
常務執行役員 人事本部⻑ 石山 恵里子


期待が高まる AI を活用した人事戦略の構築。それに伴う懸念点とは?

人事部門には多種多様なデータが蓄積されています。しかし、人事部門はデータの分析方法に明るくなく、データアナリストは分析こそできるものの活用方法がわかりません。一気通貫でハンドリングできる者が社内にいないために、人事データを施策や対策に結びつけられない企業が散見されます。

加えて、経営組織論や組織行動論の研究者である鈴木氏が、人事部門における AI 活用における懸念として次の 2 点を投げかけました。「1 つは、AI が考える仕事を担うことで思考力・想像力の養成を妨げられ、人間の仕事が AI を補完するばかりの『隷属化された労働』となり、働きがいを失ってしまうのではないかということ。もう 1 つは、人事部門は『正しさ』がわかりにくい分野のため、その世界の中で AI をどう活用すればよいのかという点です」

いくつかの懸念はあるものの、データを元にした人事戦略の構築への期待は高まりつつあります。そこで本講演では、人事部門の改革に挑んでいる 2 社の事例紹介へと話を進めました。

社員一人ひとりを「thrivingな人」に。新制度の運用を AI がサポート

まずは、パナソニック コネクトの取り組み事例です。同社はパナソニックのホールディングス化に伴って 2022 年 4 月に誕生し、2023 年より「新人材マネジメント」という人事制度を導入しました。その特徴について、CHRO の新家氏は次のように語ります。

「これまでは本社の人事部門が全社一律の制度を作り、各事業部門は制度の運用に集中していました。しかし事業会社化以降は、各事業会社が人事制度や報酬体系の策定、採用活動などを自分たちで運営するようなり、各会社・業界に合った動きが可能になったのです」

また、同社は人材戦略の大方針としては「CONNECTers’ Success」を掲げています。CONNECTers とは社員のことを指し、一人ひとりがパーパスに向かって意義のある仕事を行い、成長実感を得ながらいきいきと働く「thrivingな人」になるよう取り組むという方針です。

この目標を達成するため、同社は独自のエコシステムを構築しています。人事部門が担っていた役割を各事業部門に委譲し、現場レベルで人材戦略が実行できるようにしました。(図 1 参照)

(図  1 )

人材マネジメントによるエコシステム

このエコシステムを構築したことにより、現場がより多くの人事業務を担うことになったため、そのサポートに AI などのテクノロジーを活用しています。人事部門はストラテジーを構築する役割を与えられ、勘や経験から脱却したデータドリブンな人事部門になることを目指しています。また、現場の社員にも、自ら学ぶラーニングカルチャーの習得や、キャリアオーナーシップを持つことなどが求められるようになりました。(図 2 参照)

(図  2 )

新人材マネジメントがもたらす変化とは

さらに、AI などのテクノロジーを活用する上で重視していることについても言及します。「テクノロジーは戦略的に活用してこそ意義を持ちます。そのため、『良質なデータの蓄積』、『データの標準化』、『スピードの向上』に意識して取り組むことを念頭に置いています。人事部門にある膨大なデータは活用されて活きるものだからこそ、1 on 1 や MBO(日常業務)も含めたデータ化、業務プロセスの標準化や自動化、さらにグローバル標準との比較などを行っています」

AI が社員にコンサルテーションを実施。同時に AI リスク対応も強化

次は、SAP の取り組み事例です。SAP は「提供する製品を社内で使用してからお客様へ届ける」という姿勢を徹底しており、自社の HCM ソリューション*を活用しています。人事本部長の石山は、自社のHR領域における DX について次のように説明しました。

従来、SAP は各国別のマネジメントを行っていましたが、ビジネス戦略の変化に伴う人事部門のグローバル化が必要になり、2000 年代初頭に HR サービスの シェアド化を開始しました。人事系スタートアップである SuccessFactors を買収した後は、同ソリューションを利用し、全世界の人材マネジメントを 1 つのプラットフォーム上で行えるようになりました。ジョブの構造や組織設計のガイドライン、報酬制度などもグローバルで統一したことで、2018 年以降には、シェアドサービスが社員やマネージャーの問い合わせやリクエストに直接対応する HR サービスモデルへと移行しています。(図 3 参照)

(図 3 )

SAPのHR DX化

現在のシェアドサービスは、給与計算や証明書の発行などの基本機能だけではなく、社員のキャリアコーチングや職場のコンフリクトを解決する、現場マネージャーに対して、チームのパフォーマンス改善や部下の昇給昇格サポート、従業員サーベイの結果分析をもとにした行動改善をコンサルテーションするなどのさまざまな機能を備えています。

こうした仕組みの変化により、マネージャーや社員、人事担当者のそれぞれに良い変化が現れています。マネージャーは人材マネジメントの重要性を理解し、社員はより自律的になり、人事部門においては、人事関連データを活用し、社内のステークホルダーと連携して、経営をサポートすることができるようになりました。人事部門の担当者には、社員やマネージャー、ビジネスリーダーにコンサルテーションを提供するプロフェッショナルとしての自覚向上も見られました。

さらに、社内での AI 活用への取り組みについて、「HR 領域における DX の推進と共に、蓄積したデータやナレッジをタレントマネジメントに活用することを目的として、ビジネス AI の導入を進めています。具体的には、社員の教育・採用、問い合わせ対応などに機械学習 AI、生成 AI、会話型 AI を活用していきます。(図 4 参照)また、シェアドサービス側では、より有効かつイノベーティブに AI を活用することを検討するため、タスクフォースが活動を開始しています」と語りました。

(図 4 )

Future of Work

これらの AI を正しく活用するために、SAP ではさまざまリスクに対応する「AI 倫理ポリシー」を策定していると、AI のリスクについても言及しました。「『人間の主体性の確保』、『偏見と差別への対処』、『透明性と説明可能性』といった 3 つのフレームワークで構成されるポリシーで、AI の開発と運用の両面からガバナンスを効かせてリスクを解析し、回避していくことに取り組んでいます」(図 5 参照)

(図 5 )

SAPのAIポリシー

AI を頼りつつも最後は人間が判断。そのために問いたい「なぜ働くのか?」というパーパス

講演の後半に行われたパネルディスカッションでは、鈴木氏のファシリテートにより人事部門の AI 活用について掘り下げました。

Q1. AI によって現場の業務が支援されアクションを起こしやすくなる一方、思考から生まれる成長や困難を突破していく機会が減退するのではないでしょうか?

これについて新家氏は「当社が『thriving』を人事戦略で掲げているように、人事部門としては社員が意義のある仕事に取り組みながら成長実感を伴って働けるよう、追求していくべきだと思います。その阻害要因を取り除くために AI が活用できます」と回答しました。

続けて石山は、「SAP の AI 理論ポリシーに『最後は人間が決める』という内容があります。複雑な問題に一定の答えを出す、未来を予測するなど、AI にも苦手な部分があるため、そこは人間が判断していくべきと考えます。現場での課題に対して本質的な問いを立てたり、仮説を立てるということは人間でなければできないし、そのような思考をする機会が現場から消えることは無いと考えます」と説明しました。

加えて、今後変化する働き方についても指摘します。「AI が本格的に導入された未来には労働時間は少なくなり、週休 3 日制が実現できる時代が来るでしょう。日々の仕事を通じて得ていた働きがいや、働きを認められることで満たされた承認欲求などをどこで補うのか、あらたな人事的テーマに対する取り組みが求められるかもしれません」(石山)

Q2. 今後、人事の仕事や役割はどのように変わり、どのような能力が必要になるのでしょうか?

この問いに対し新家氏は、「人事部門に求められることは、人事戦略に特化し、経営側と共に戦略を実行していくことだと考えます。どうすれば他社と差別化を図りビジネスで勝つことができるのか、それを実現するために人事面でどのような対策を行うべきなのかを提案することです。AI がダークサイドに落ちることもあるからこそ、物事の本質を見極め、正しさを追求していくことも必要です。そのために人事担当者には、事業課題への取り組みなどに関する研修を実施し、戦略思考・能力を身につけてもらっています」と回答しました。

石山は「経営管理における各機能は、財務、経理、人事など縦割りになりがちですが、人事的なデータを使って横串を入れることによって、人事部門が経営管理のハブになることも考えられると思います。当社では人事部門の社員に対して、データ分析のためのスキルや、部門間連携を想定したプロジェクトマネジメントやファシリテーションスキルなどのハードスキルの研修を実施しています。また、急速なビジネス環境の変化に対応して継続的な価値提供ができるよう、アジリティやレジリエンスなどのソフトスキルを高めることも重要であると考えます」とコメントしました。

Q3. 経営層に対して人事の戦略は受け止められにくいという面ありますが、どのように捉えていますか?

これに対して、石山は「当社は経営トップを含めて人材マネジメントはマネージャー自身が行っているため、事業戦略を実行するための人事の重要性を理解している素地があります。加えて、人事的な議論のトリガーポイントとしてデータを活用したり、人事戦略上の主要なテーマを数値化して表現するなどしています。これにより、人事戦略が経営に活かされやすくなっているのではないでしょうか」と回答しました。

続けて新家氏は「当社も各事業部門に人事権を渡したことで、戦略人事化する素地ができつつあります。また、人事部門の果たすべき役割として、経営会議などの場で人事関連のデータを明示して現在の課題や対策をインプットすることを意識しています」と自社での取り組みについて説明しました。

最後に石山は「労働人口の減少と AI の普及が進むと、社員一人当たりに期待する提供価値や役割の大きさが変わると考えています。人事部門は貴重な社員をどのように採用し、どのように活かすかを検討する必要があるでしょう。私たちは変化の大きい時代にいますが、社員にはこの変化を能動的に受け入れて、チャンスに変えていただけるよう支援していきたいです」と今後の展望を語りました。

また新家氏は「AI 活用が進むからこそ、人がどこで価値を出していくのかを考えるべきだと思います。AI で代替可能な領域を担っている人にとっては仕事を失う可能性も出てきますので、その現実を各部門に厳しく問う必要もあるでしょう。加えて、人材の流動化も加速するべきではないでしょうか」と話し、講演を締めくくりました。

 

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