SAP ジャパンが主催する年次最大のイベントとして、8 月 6 日(水)にグランドプリンスホテル新高輪・高輪 国際館パミールで開催された「SAP NOW AI Tour Tokyo & JSUG Conference」。「越える、その先へ ~AI とデータが拓く未来~」と題したグランドキーノートでは、SAP の最新戦略とともに AI とデータ活用による次世代経営の具体的な姿が示されたほか、キリンホールディングス株式会社 取締役 常務執行役員 CFO の秋枝眞二郎氏をゲストにお迎えし、同社の事業ポートフォリオ変革と、それを支えるデジタル経営基盤についてご講演いただきました。本稿では、秋枝氏のご講演と SAP ジャパンの堀川とのパネルトークの模様をダイジェストでお伝えします。

 
(登壇者) 
秋枝 眞二郎 氏
キリンホールディングス株式会社
取締役 常務執行役員 CFO 

堀川 嘉朗
SAP ジャパン株式会社
常務執行役員 最高事業責任者
 

キリングループの事業ポートフォリオ変革への挑戦 

キリングループの祖業は約 120 年にわたって続くビールを中心とした酒類事業です。その一方で、1980 年代には将来の人口減少などの時代の変化を見越して、グローバル化と技術ベースの拡大という 2 つの軸で事業の多角化を進めてきました。 

グローバル化では、北米でのボトラー事業のほか、豪ビール大手の Lion 社、フィリピンの San Miguel 社との資本提携などにより、海外市場を開拓しています。また技術ベースの拡大では、ビール事業で培った発酵とバイオテクノロジーの技術を応用した医薬事業は、グループの事業利益の半分近くを占めるにまで成長しています。 

しかし、医薬事業はボラティリティが高く、ハイリスク/ハイリターンの側面があることに加えて、酒類事業においてもアルコールに対する規制強化などの不確実性が伴います。そこで、キリングループは次の成長戦略として 2019 年からヘルスサイエンス事業に注力してきました。 

秋枝氏は「事業ポートフォリオの組み換えには、多角化、グローバル化、技術ベースの拡大といった多元的なアプローチが必要になり、この実現は容易ではありません」としたうえで、「事業ポートフォリオの拡大においては、同時にそれを支える経営基盤も極めて重要な意味を持ちます」と指摘しました。 

例えば、多角化の過程で買収した企業は、単なるエンティティとして並べていくだけでは不十分です。シナジーの最大化、ガバナンスの強化、リスクマネジメントのためにも、グローバルで同じ経営システムを使って、それぞれの企業を統合・再編していくことが重要だといいます。

 

SAP S/4HANA の導入から得た 2 つの学び 

一方、キリングループのデジタル ICT は 2000 年代までは先進的な仕組みを整備してきたものの、その後の技術革新やデジタル化の潮流には追随できていませんでした。そこで、2013 年にデジタルマーケティング部を立ち上げ、2020 年には DX 戦略推進室を、2023 年には  IT とデジタルの組織を統合したデジタル ICT 戦略部を設置し、ICT 活用を加速させます。この流れの中で、老朽化した基幹システムのモダナイズに向けて 2016 年に着手したのが SAP S/4HANA のビッグバン導入でした。

「しかし、ここでも SAP S/4HANA は当初の目標から 2 年遅れての稼働となり、大きな反省を残す結果となりました」と秋枝氏は振り返ります。そこで最も大きな学びとなったのが、一部の既存業務のプロセスをそのまま引き継いだ結果、多くのアドオンが発生してしまったことだといいます。 

「SAP S/4HANA の導入を優先するあまり、ビジネスの本質であるプロセス改革が後回しになってしまいました。やはりアドオンの可否は現場ではなく、経営レベルで判断して思い切った改革を実行すべきです」 

もう 1 つの学びは、管理の合理性の観点から SAP S/4HANA を先行導入する海外子会社があり、勘定科目などの統一性がグローバルで損なわれてしまった点です。SAP S/4HANA をグローバルビジネスの基盤として十分に使いこなせていなかった原因もここにあります。 

この点については、M&A でヘルスサイエンス領域に新たに加わった豪サプリメントメーカーの Blackmores 社、日本の化粧品・健康食品メーカーのファンケル社との統合における経営管理、ICT ポリシー、さらには業務プロセスの統一などを、今後の M&A の標準モデルとすべく取り組みを進めています。 

「新たなテクノロジーを取り入れて最先端の経営を実践していくことは重要ですが、そのためにはグローバルで同じものを見て、同じ手法でマネジメントしていく必要があります。真のグローバルカンパニーを目指すためにも、新たなテクノロジーの導入とともにプロセス自体をつくり直すことに取り組んでいきます」(秋枝氏) 

また秋枝氏は今後のビジョンとして、「経営インフラの統一」「生成 AI 活用の推進」に加えて、「非財務情報を活用した仮説検証型のマネジメント」「財務分析の機能も含めたシェアードサービスのケイパビリティセンターへの転換」なども挙げました。 

 

「一歩踏み出す勇気」でキリングループの 変革を推進 

講演終了後は、秋枝氏とSAP ジャパンの堀川嘉朗とのパネルトークが行われました。最初に堀川は「キリングループが発酵とバイオテクノロジーをコアコンピタンスとして将来の事業の方向性を考えるうえで、どのようにして新たな価値やシナジーの創出に取り組まれたのでしょうか」と問いかけました。 

これに対して秋枝氏は、キリングループが 2013 年に打ち出した CSV 経営が価値創出の原点にあることを明かしました。 

「CSV 経営とは、社会課題の解決と経済的な価値を生みビジネスの両立を目指す経営手法です。発酵とバイオテクノロジーの技術を応用した医薬事業においては、世の中の人々の健康と喜びへの貢献が目標になりますが、そこでは R&D が重要で、実はこの R&D こそが私たちのコアコンピタンスです。デジタル化というとプロセス変革などに注目が集まりがちですが、R&D においてもデジタルツインなどのテクノロジーは非常に有効です。医薬事業を持っているからこそできる独自のヘルスサイエンス事業もあると信じて、ここに資源を投入して成長につなげていきたいと考えています」(秋枝氏) 

また堀川は「どこに重点的な投資を行うかという判断においても、標準化、共通化は非常に重要です。ERP の導入はそれを実現する 1 つの手段でしたが、DX 戦略という文脈の中で標準化、共通化における新たな気づきはありましたか」と質問しました。 

この点について、秋枝氏は「当初から DX のポイントは X(変革)にあるというのが社内の共通認識のはずでした。しかし実際には、どうしても事業部門の人間は『IT のことは IT 部門で任せる』という意識が強く、変革を推進するうえでの自分の役割を理解できていませんでした」と振り返ります。 

その後は事業部門においても、多くの人材が自身のリソースの一部をデジタル化の流れをキャッチアップすることに振り向けるなど、「デジタルをどのように事業に取り入れるか」というマインドチェンジが生まれ、このことが変革を支える企業風土の醸成につながり、成果が生まれつつあります。 

 

最後に、秋枝氏は会場の参加者に向けて、次のようなメッセージを送りました。 

「デジタル化に限らず、新しいことにチャレンジするときは失敗を恐れず、小規模な PoC をたくさん実施して、うまくいったところをスケールさせるサイクルが必要です。その最初の一歩を踏み出す勇気を持った人材をできるだけ増やすことが、今、私たちが目指すことだと考えています。それがイノベーションを生み出す土台にもなっていきます」