日本の DX、変革を阻む「カベ」をいかにして乗り越えるか?DXリーダー、若手起業家が語る未来への展望

フィーチャー

SAP ジャパンが主催する年次イベントとして、過去最大の参加者を集めた SAP NOW AI Tour Tokyo & JSUG Conference(8 月 6 日開催)に続いて、9 月 11 日にザ・リッツ・カールトン大阪で開催された SAP NOW AI Tour OSAKA。
本イベントのブレイクアウトセッション「日本の未来を拓く DX~変革を阻む『カベ』をどのように崩すのか~」では、トラスコ中山株式会社の取締役で Japan SAP Users’ Group(JSUG)会長も務める数見篤氏、家庭用調味料などで親しまれる株式会社 Mizkan Holdings(以下、ミツカン) 執行役員 CIO の松下美幸氏、政策プラットフォームの運営で知られる株式会社 PoliPoli 代表取締役/CEO の伊藤和真氏が登壇し、日本の DX、変革を阻むカベの課題認識や、それをどのように乗り越え、成果を生み出してきたかについてのディスカッションが行われました。本稿では、その模様をダイジェストでお伝えします。

パネル対談
 
(登壇者)

トラスコ中山株式会社

取締役 デジタル戦略本部 本部長

Japan SAP Users’ Group(JSUG)会長

数見 篤 氏

 

株式会社Mizkan Holdings

執行役員 CIO 兼 IT 戦略本部長

松下 美幸 氏

 

株式会社 PoliPoli

代表取締役/CEO

伊藤 和真 氏

 

(モデレーター)

SAP ジャパン株式会社

政府渉外バイスプレジデント

関西経済連合会 DX 委員会 副委員長

鈴木 渉

 

日本の変革を停滞させるさまざまな「カベ」

まずセッションの冒頭では、モデレーターを務めた SAP ジャパンの鈴木から、日本を代表する DX リーダー、また若手起業家である 3 名の登壇者に対して、それぞれがこれまで直面してきた「DX、変革を阻むカベ」についての質問が出されました。

トラスコ中山の数見氏は、この 30 年にわたる同社の売上高の推移をグラフで示し、約 20 年にわたって 1,000 億円前後の横ばいが続いてきた「売上成長のカベ」を挙げました。しかし、2024 年には売上高が 3,000 億円に迫るなど、2015 年からの直近の 10 年間は右肩上がりの成長を実現しています。このカベを克服して現在に至るまでには、自社のありたい姿の再定義や社員のマインドセットの変革、デジタル化による生産性の向上など、さまざまな取り組みがなされてきたといいます。
 

 

続いてミツカンの松下氏は、入社以来、IT 部門に携わってきた立場から「デジタル化のカベ」について言及しました。同社では、2017 年頃から業務のデジタル化に向けて、さまざまなテーマで PoC を繰り返してきましたが、思ったような成果を生み出せない状況が続いてきました。

その原因の 1 つとして、長年にわたってドライ事業(味ぽん、鍋つゆなど)とチルド事業(納豆など)を異なるシステムで管理してきたことが挙げられます。前者は 1970 年代から利用しているプログラムを引き継ぎながらスクラッチで開発してきたシステム、後者は Oracle EBS を中心に構築したシステムです。これらの分断されたシステムの上で、それぞれの事業のカネとモノの動きが別々の体系で管理されていました。

松下氏自身も S&OP(需要と供給の統合計画)による利益構造のシミュレーションなどに取り組んだものの、「既存システムの管理に加えて、複雑なインターフェース開発や手作業のマスタ変換などで、手間とコストが積み上がるばかりでした」と振り返ります。
 


 
伊藤氏が学生時代に起業した PoliPoli は、政治・行政と市民や民間企業をつなぐ政策プラットフォームを運営するスタートアップです。現在はこども家庭庁をはじめ、7省庁が PoliPoli のサービスを活用しており、民間企業が新たな政策提言を行う際に利用されるケースもあるといいます。

この事業を運営してきた経験から伊藤氏が指摘するのは、日本独自の「政策・文化・人材のカベ」です。2018 年に PoliPoli を立ち上げたのも、時代に合わないルールが放置され、社会の変化に適応できない「政策のカベ」についての問題意識からでした。また政治・行政と向き合う現場では、アナログな慣習が根強い「組織文化のカベ」に直面することが少なくありません。経営者としての自身の立場においても、DX 人材の獲得や育成で苦労することが多く、「人材のカベ」を実感しているといいます。

 

「カベ」の存在に気づかない人や組織文化の課題

では、それぞれの分野のプロフェッショナルである各氏が直面してきたこれらのカベは、どのようにして生まれるのでしょうか。それを掘り下げるべく、モデレーターの鈴木から「そのカベの根本的な問題はどこにあるのか、何がビジネス変革を阻害する要因になっているのか」という質問が投げかけられました。

これに対して数見氏は、「社員は全員がそれぞれ頑張っていましたが、自分たちが非生産的な業務を続けているという自覚がありませんでした」と、売上高が伸び悩んだ 20 年間を振り返ります。つまり、カベが存在するという認識がないこと自体が最も大きな問題だったということです。

次に松下氏は自身の実体験から、デジタル化を阻む原因はシステムの分断だけではなく、そこには「人のカベ」があると指摘します。

同社は 2025年 に SAP S/4HANA Cloud で基幹システムを刷新しましたが、この過程で IT 部門の人員構成を再確認したところ、50 代以上のベテラン社員が約半数を占める一方、経験が 3 年未満の若手人材も 30 % に上ることがわかりました。この世代間で経験の差が大きい組織構成の中で、さまざまなノウハウがブラックボックス化しており、その継承は大きな課題でした。

実際、社内システムの障害によって商品の出荷を一時的に停止せざるを得なくなった際、ベテランの尽力によって約半日でシステムは復旧できたものの、若手は立ち尽くすしかない状況だったといいます。

「このシステム障害によって、IT システムに携わるということはお客様との信頼関係に直結する責任を負っていることを再認識すると同時に、人材育成の重要性を改めて感じました」(松下氏)

 

 

一方、学生時代にゼロから起業した伊藤氏は「私にとって、これまでのすべてがカベの連続でした」と、自身の歩みを振り返ります。同氏からみて親以上の世代の政治家、公務員が中心の永田町、霞が関で、学生起業家の提案を受け入れてもらうことは容易ではありません。ようやく話が進んでも、関係者の「OKN(俺は聞いてない)」の一言で止まってしまうことも珍しくありません。また紙や FAX 中心のやりとりが残っている組織文化も含めて、DX 人材が育っていない現状は、日本の変革を阻害する大きな要因となっているのです。

 

デジタル基盤を活用した「カベ」の克服

では、これらのカベを各氏はどのようにして乗り越えてきたのでしょうか?

数見氏が売上成長のカベの克服に向けて重視してきたのは、1 人あたりの売上高、すなわち生産性です。この 10 年間で売上高が約 2 倍に成長する中で、 1 人あたりの年間の売上高も 8,400 万円から 1 億 100 万円と約 20 %上昇しています。

この間に M&A や新規事業への参入といった構造的な変化があったわけではなく、基本的な事業モデルは同じです。にもかかわらず、生産性が向上した背景として数見氏が挙げるのが、2020 年の SAP S/4HANA の導入です。新たに構築したデジタル基盤の上で、勘や経験に頼っていたアナログの業務をデジタル化、AI 化していきました。

「例えば、人が行っていた見積り対応などの業務は、すべて AI で置き換えて 5 秒で回答できるようになっています。また、仕入れ業務でも在庫データを基にシステムが自動発注するなど、人の作業を大幅に削減しています」

さらに数見氏は、「SAP を導入すればすべての問題が解決するわけではなく、また生産性を向上しようという言葉だけで、現場のモチベーションが上がるわけでもありません」と強調します。このカベを乗り越えるためのトラスコ中山のマインドは「お客様起点」です。

「当社では、お客様が本当に求めていることを第一に考え、その実現に向けた 11 の能力目標を『ありたい姿』として定義し、目指すべきゴールを経営陣と現場の社員の間で共有しています。これにより現場のモチベーションが上がり、仕事のやり方、業務プロセスの見直しに継続的に取り組んでいくことができています」

松下氏のミツカンも「デジタル化のカベ」を乗り越えるための基盤として SAP を導入しました。新たな基幹システムの導入は、同社としても 20 年ぶりのプロジェクトで、会計からサプライチェーンまですべてのプロセスを刷新する大規模な投資となりました。

それだけに投資対効果が注目されますが、松下氏は短期的な目標だけでなく、事業の成長を支えるデジタル基盤の次世代への継承も大きなテーマとして掲げました。そのことを経営陣に訴え、立ち上がったのが「GENE(Group ERP for Next Era)」と名付けられたプロジェクトでした。

「世の中の環境変化に対応し、お客様に美味しくて、健康的な商品を届けられるようにする。SAP の導入をそのための基盤づくりとして位置づけ、活動を進めてきました」(松下氏)という顧客起点の変革の理念は、トラスコ中山とも共通するものです。

同時に「人のカベ」の克服においては、人材育成が大きな鍵となります。この点についても、松下氏は「ノウハウの継承に向けて、プロジェクトではあえてベテランと若手のバランスがとれたチームを編成し、経験やスキル、価値観の異なる人材を組み合わせることで、互いに気づきを得て、成長できる取り組みを目指しました」と話します。

 

 

伊藤氏は、カベの克服に向けた 7 年半の経験から「時代に合っていないルールは、働きかけ次第で変えることができる」と話します。ビジネスのボトルネックとなる規制は、アジェンダセッティングによってルールをどのように変えるべきかを政府や自治体へロジカルに提言することで、「政策のカベ」は乗り越えられるといいます。

また「文化のカベ」に対しては、関係者と高い目標を共有することが重要だと話します。「高い目標がないと、どうしても OKN みたいな話になってしまいます。自分たちが何をしたいのか、どこに向かっているのか、同じ目標を共有して一緒に変革を担っていくことが大切だと感じています」(伊藤氏)

「カベ」の克服は組織と人が成長するチャンス

最後にモデレーターの鈴木は、「変革を通じて日本をハッピーにしていくための提言」を各氏に求めました。

ここで数見氏が改めて強調したのは、「気づいていないカベこそが最大のカベ」という点です。トラスコ中山では、社員が生産性の低い仕事をしていることに気づかず、売上高の停滞が続いてきました。これは社員個人の意欲や能力の問題ではなく、会社の仕組みを変革し続けることが何より重要だということです。

一方、「見えるカベ」については「やるしかない」と、数見氏の考えは明確です。課題に対して危機感と覚悟を持って取り組み、実際に乗り越えられるかが競争力の差となって現れます。「どのようなカベに対しても、成果が出るまで粘り強く取り組んでいきたい」と決意を語りました。

松下氏も数見氏の意見に賛同した上で、「カベは新たな挑戦の場であり、その過程でさまざまなことを知り、人が成長するチャンスでもあります」と、カベを組織が成長するための機会と捉えています。SAPシステム の導入プロジェクトにおいても、人と人が助け合い、異なる意見が組み合わさることで新しいアイデアが生まれ、カベを乗り越えられたことは貴重な経験だったといいます。

伊藤氏は、自らの起業の経緯を踏まえて「やはり根底にあるのは危機感です」と話します。少子高齢化、労働人口の減少など日本経済の不確実性が高まる中、伊藤氏は政策からイノベーションを促進すべく PoliPoli を立ち上げました。

「リーダーシップを持ってイノベーションを起こして、DX で生産性を高めていくことは、日本の将来にとって重要なことです。スタートアップである私たちも、大企業の皆さんに負けないよう頑張っていきたいです」と意欲を示しました。

所属する組織や立場は違っても、人間が情熱を持って課題の克服に取り組むことの大切さなど、各氏の考えには多くの共通点が見られます。このことはセッションのすべての参加者にとって、日本の未来に向けた力強いメッセージとなったはずです。