企業経営において「人的資本経営」が注目を集めています。開示義務化や ESG 投資の活発化が進むなか、従業員一人ひとりの成長機会をどのように最大化し、企業価値向上に結びつけるべきでしょうか。本記事では、2025 年 5 月 21 日に日本の人事部主催で開催された『 HR カンファレンス 2025 春』でのパネルディスカッション「人的資本経営の要は従業員の成長機会-いかに個々人に合わせた人材マネジメントを設計、運用するのか」の模様をダイジェストでお伝えします。

登壇者

パナソニックホールディングス株式会社
戦略人事部長
盛山 光氏 

エーザイ株式会社
ピープル&コミュニケーション戦略部長
三瓶 悠希氏 

SAP ジャパン株式会社
人事・人財ソリューションアドバイザリー本部 本部長
佐々見 直文

 

盛山さん


人と組織のポテンシャルを解き放つ ―パナソニックグループ の変革戦略

パナソニックホールディングス の盛山氏は、2025 年に グループ CEO の楠見雄規氏が打ち出した「UNROCK =解き放つ」というキーワードを用い、グループ全体で推進している「人と組織のポテンシャルを UNLOCK する」取り組みについて解説しました。

若手社員の離職率上昇や女性社員の活用推進が課題

パナソニックは、創業者松下幸之助氏の「物をつくる前に人をつくる会社である」という理念が 100 年前から根付いており、人的資本経営が注目される以前から人材育成を最重要視してきました。現在、人材領域の課題は、従業員エンゲージメントの向上です。特に深刻なのは、若手人材の離職率上昇で、勤続 10 年未満の離職率は増加傾向、2022 年入社者においては 3 年以内離職率が 4 %となっています。また、勤続年数別のエンゲージメントスコア分析では、入社 1 年未満の 75 %から 2 年目 66 %、3 年目 63 %、5 年目 60 %と徐々に低下し、15 年を超えると 64 %まで回復するという U 字カーブを描いており、若手が活躍できる環境整備が急務となっています。(図1参照)

(図1)

現状の課題


ジェンダーダイバーシティの課題もあります。全体の女性社員比率が
22%であるのに対し、女性管理職比率は8%ほどにとどまっています。また、「キャリア上の目標達成できる見込みがある」という設問に対する肯定的回答率を男女別で比較すると、女性の方が明らかに低い結果となっており、多様性を活かした意思決定ができる会社になるための女性活躍推進が求められています。

一人ひとりが挑戦し、力を最大限に発揮する会社を目指す

パナソニックでは一人ひとりが経営者であるという社員稼業一人ひとりの知恵を集めて経営に活かす衆知経営、社員稼業と周知経営をベースにした「⾃主責任経営」という基本方針があります。「これを実現するためには、社員一人ひとりのポテンシャルが『 UNLOCK 』できている状態、つまり『フロー状態』に入っている社員をいかに多く創出できるかが重要です」(盛山氏)

同社では、フロー状態を定量的に測定するため、独自の「UNLOCK 指標」を開発しました。この指標は、「期待されている以上に仕事をやりたいという気持ちを持っている」、「挑戦において大きな阻害を感じない」という 2 つの設問への肯定的回答率の組み合わせで構成されています。現状では、グローバル全体で 43 %、日本では 32 %、日本以外の地域では既に 59 %となっており、地域格差が課題として浮き彫りになっています。同社は 2027 年までに全体で 60 %達成を目標として掲げています。(図2参照)

(図2) 

目指す姿


組織カルチャー変革においては、OPM ( Organizational Performance Model )フレームワークを採用しています。このフレームワークでは、組織構造・配置、仕事デザイン、採用・トレーニング・リーダーの選抜、情報共有・学びのプロセス、意思決定、評価・報酬の6つの視点から組織デザインを定義し、それぞれが必ずフィットするよう設計されています。特筆すべきは、「ぬるま湯から脱却し、一人ひとりの成果と行動に必ず報いる」「変化に強いリーダーを育成し、大胆に登用する」といった、従来よりも強い表現を用いた組織改革メッセージです。(図3参照)

(図3)

組織カルチャー変革


2024 年以降
では、グループ経営者 200 名弱を集めた組織デザインワークショップの開催、組織カルチャー自己点検ツールの展開、ワークプロセスドライブの実施などを進めています。これらの具体的な取り組みにより、組織に変化の兆しが現れています。事業会社の 1 つであるパナソニックインダストリーでジョブ型人材マネジメントを導入し、ミドルマネージャーと従業員の意識改革・行動変容を推進しています。さらに、人事部門での AI 積極活用、採用や従業員サービスの改善、人事社員へのテクノロジー教育、働く場所の選択肢拡大なども進めています。また盛山氏は、今回紹介した取り組みは「まだ完璧にはできていない」としながら、従来の完璧主義から脱却した透明性重視のアプローチへと転換したことを示しました。

「今までは取り組んできたことを説明するという姿勢で対応していましたが、今はできていないこともあからさまにしていこうということで目標も掲げています。今回は課題も含めてさらけ出したつもりです。こういったところが何らかの学びになっていただければと思います」(盛山氏)

 

盛山さん


ありのままの開示で築く信頼関係 ―エーザイの革新的なアプローチ

続きましてエーザイの三瓶氏が、同社の「 hhchuman health care)企業理念を基盤とした人的資本経営について解説しました。

HRパーパスは「エナジー・シナジー・インパクト」

エーザイでは、グローバル 1 万 1,000 人以上の社員全員が「患者様と生活者の皆様の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィット向上に貢献し、世界のヘルスケアの多様なニーズを充足する」という企業理念に共感し、就業時間の 1 %を患者様や生活者との時間に充て、そこから得たインスピレーションを戦略に反映する理念経営を実践しています。(図4参照)

(図4)

 

hhc


「エーザイを支えるhhc理念に対して、グローバルの社員皆さんが共感しているといった礎があるのが当社の大きな特徴です」(三瓶氏)

 

三瓶さん


この理念を実現するため、同社では「エナジー・シナジー・インパクト」をキーワードとするグローバル HR パーパスを掲げています。(図5参照)「社員一人ひとりのエナジーを解き放ち、組織のシナジーを生み出し、社会的インパクトの最大化に貢献する」という旗印のもと、あらゆる人事戦略を組み立て、最終的に患者様への貢献を目指しています。「エナジー・シナジー・インパクトに伴うさまざまな人事戦略をありのまま情報開示し、そこでいただいたご意見を次の戦略に反映していく。すなわち戦略実行と情報開示を両輪で回していく手法が、エーザイ流の人的資本経営の根底です」(三瓶氏) 

(図5)

グローバルHRパス

その起点となるのが 2024 年 7 月に発行された「 Human Capital Report 2024」です。この報告書は、人に関する情報だけで 123 ページに及ぶ大容量で、発行から約 9 カ月で約 1 万 4,000 ダウンロード数を記録しています。

同報告書には以下の6つの特徴があります。

  1. 社員向け内容を外部開示する戦略
  2. 親しみやすいデザイン(スーツを着た写真をほとんど使わない工夫)
  3. 4 つの課題の赤裸々な開示
  4. グローバル視点の鮮明化
  5. 新指標「 Eisai Human Capital Index(E-HCI)」の開発
  6. 内部通報懲戒件数など透明性の高い情報開示

課題解決への実践的取り組みと継続的改善

エーザイでは人的資本経営における 4 つの課題を明確に開示しています。

課題1:グローバル人事体制の強化
課題2:イノベーション創出環境の整備
課題3:ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン文化の浸透
課題4:会社と社員の情報非対称性の解消 

 三瓶氏は、特に課題4について、情報発信方法をPush(プッシュ型・Pull(プル型、カジュアル・フォーマルの4象限で分析しました。(図6参照) 

 (図6)

コミュニケーション課題


製薬会社の特徴にも起因する部分ですが、社内コミュニケーションにおけるほとんどの情報がフォーマルな内容で、カジュアルな社内発信は極めて少ない状況でした」(三瓶氏) 

 この課題を解決するため、ワークショップの実施、メルマガ配信、昼食時間に放送するラジオ感覚の番組など、多様な情報発信を開始しました。中でも「Project Aka-Chochin(プロジェクト赤提灯)」は食事とお酒を楽しみながら対話するセッションを展開するところが特徴的で、これまでに22回開催しています。また、従業員への単なるアンケート調査だけにとどまらず、経営トップとの対話を重視した取り組みも進めています。これまで、若手や育児中の社員、営業レジェンドOBとのセッション、神戸にある研究所と営業所のコラボレーション企画などを実施し、延べ約600人が参加する人気コンテンツとなっています。

Human Capital Reportの社内浸透にも戦略的な工夫を盛り込みました。ポスターによる啓発やGIF画像を活用したメール署名でのPR、TeamsやZoomの会議背景用画像の配布、オリジナルTシャツによる宣伝活動など、多角的なアプローチを展開していますその結果、2024年12月時点で実施したサーベイでは、全社員の73%が全体または一部を読んだと回答しました。(図7参照) 

 (図7) 

社内サーベイ


300人以上の規模の企業の社内報であれば、読んだとされる回答率が30%でも良いとされる統計もあります。それを踏まえると、73%という数値は自信を深める結果となりました。また、この73%のうち約68%の従業員が有益な情報が多かったと回答してくれています」(三瓶氏)

一方で、組織やチームへの着目、将来に関するビジョンの追加など建設的な意見も寄せられました。2025年度版では、これらの意見を反映し、人的資本KPI同士の関係性解明、他社トップリーダーとのコラボレーション紹介、人的資本トップランナーとの対談などの新要素を加える予定です。 

 人的資本経営における実践課題と解決策 

これらの実践例を受けて、SAPジャパンの佐々見の進行によりパネルディスカッション形式で人的資本経営の現実的な課題と両社の各種取り組みについて深い議論が交わされました。

 

微笑み佐々見

佐々見:開示する内容について、社内で合意をどのようにとられましたか?

盛山氏外部から来た新しいグループCHROから、『これイケてないよね』『みんなが読みたいと思うの』という指摘を受けたことで、まず目標を明確にすることになりました。ネガティブな印象を与える若手離職率のようなデータもあえて開示することで、読む人は興味を持ってくれるできてないことを出すことでやらなきゃいけないことをはっきりさせようという考えに至りました
パナソニックでは、外部から招聘したCHROの影響が決定的

三瓶氏: CHROからCEOに、『ネガティブな課題とそれに対する具体的な取り組み姿勢をしっかりと開示します』と説明し、CEOから承認というエンドースメントを得ました。課題を赤裸々に打ち出すことで企業らしさが見え、その企業の向かう道筋が見えるというのが説得材料になりました
エーザイでは、より戦略的にトップのエンドースメントを獲得

佐々見:独自性の高い指標を目標として掲げられているが、どのようにして設定されたのか?

盛山氏パナソニックのUNLOCK指標を作る際、フロー状態を判断するために既存のデータに着目しました。データとにらめっこをした結果、「求められているもの以上の成果を出したい」という挑戦の気持ちと、それに対する阻害要因の掛け合わせだ、という考えに至ったのですが、産みの苦しみはかなり大きかったです。
パナソニックでは、UNLOCK指標の策定には大変な苦労があった

三瓶氏人事戦略と企業戦略を連動させたい思いから、この指標向上が最終的に企業戦略実現につながる指標を目指しました。人的資本KPIと財務KPIの連動を無理やり証明するよりも、企業戦略と人事戦略の連動をありのまま投資家にお出しし、判断を委ねる形を重視しています。
エーザイにおける人材投資効率は、同社が生み出している社会的インパクトを給与総額で割った同社独自の指標で、どれだけの給与総額に対してインパクトが生み出されたかという効率性を明示

佐々見:フィードバックをもらいながら改善を繰り返すというAgileな人事への転換をどのように進められましたか? 

 三瓶氏:「人事のトップであるCHROが『ありのまま出して、そこから得た意見を反映しよう』という旗を振り始めました。ありのまま出した結果、2024年度だけで私とCHROで、750名ほどの方と名刺交換し、戦略に反映できるインスピレーションを得ることができました
エーザイの変革には人事のトップの動きが功を奏した 

盛山氏:昔から『若者・よそ者・変わり者』がイノベーションを起こすという考えがありますが、現在、相当数のキャリア採用を人事で行ってきました。昔は完璧に仕上げて提出することが主流でしたが、現在は『アジャイルにやりました』『今はこういう問題もありますよね』というカルチャーができつつあります。アジャイルやUNLOCKというキーワードを会社で使い続けることで、スピードが変わってきます。
パナソニックでは、外部人材の活用が文化変革の原動力 

最後に、両社の人事リーダーより視聴者へのメッセージで締めくくりました。
盛山氏:できていないことを出すことが、変革を推進していく1つのキーワードになると思います。今までは『できています』と言っていたのが人事でしたが、会社全体を巻き込みながら自らがアップグレードされていくことを目指したいと思います 

三瓶氏:完璧にできる人事はおそらく存在しないと思います。どの会社も解決した傍から次の課題が出てくるでしょう課題が尽きないのであれば、さまざまな企業が異なる課題を持ち寄ってみんなで解決していく。課題をみんなで見せ合って持ち寄るところから色々な物事が始まるという発想転換が重要です 

最後までお読みいただきありがとうございました。