「現場を変える、会社を変える、未来が変わる。~ Future-Proof Your Business ~」をテーマに、9 月 22 日に The Okura Tokyo で開催された SAP ジャパンの年次カンファレンス「 SAP NOW Japan 」。「データドリブン経営を支える基盤システムの実現と今後の展望」と題した旭化成株式会社の事例セッションでは、同社の執行役員を務める寺田秋夫氏が登壇し、「マテリアル」「住宅」「ヘルスケア」の 3 つの事業領域を支える新たな基盤として、SAP S/4HANA をビッグバン導入した「 CORE プロジェクト」の経緯をご紹介いただきました。本稿では、プロジェクトのキーマンが参加したセッション後半のクロストークも含めた模様をダイジェストでお伝えします。
◎ 登壇者
旭化成株式会社
執行役員 BT プロジェクト推進担当
寺田 秋夫 氏
(クロストーク参加者)
旭化成株式会社
デジタル共創本部 IT 統括部 統合システムグループ
基幹システムチームリーダー 塩月 修平 氏
旭化成株式会社
デジタル共創本部 スマートファクトリ―推進センター
課長 上杉 俊太 氏
SAP ジャパン株式会社
クラウドサクセスサービス事業本部 トランスフォーメーションサクセス本部
プリンシパルビジネスコンサルタント 尾越 誠一郎
SAP ジャパン株式会社
クラウドサクセスサービス事業本部 デリバリーサクセス本部
テクニカルクオリティマネージャー 森 宗央
幅広い事業の基盤を SAP S/4HANA でワンインスタンス統合
1922 年の創業から 100 年以上の歴史を持つ総合化学メーカーとして知られる旭化成。7 つの事業会社を中核に「マテリアル」「住宅」「ヘルスケア」の 3 つの領域で事業を展開する同社は、暮らしに身近な消費財から生活をより快適にする素材・製品、いのちを支えるヘルスケア製品まで、さまざまなシーンで社会に貢献しています。
マテリアル領域だけでも 89 の事業を手がける同社は、これまで約 20 年にわたって SAP ERP を広範な事業を支える基盤として活用してきました。その経緯について、寺田氏は次のように振り返ります。
「 SAP については、まず事業会社の 1 つである旭化成メディカルで先行導入したのを皮切りに、純粋持株会社体制に移行した 2003 年のタイミングで、グループ全体で SAP ERP を採用しました。しかし、この段階では全社の会計機能を含めた 13 の SAP インスタンスが稼働していました。2013 年にカットオーバーした『NEXT プロジェクト』では、これらのインスタンス統合に取り組みましたが、ここでは膨大なアドオンが発生したほか、旭化成メディカルや全社の会計機能は依然として別インスタンスとなっているなど、いくつかの継続課題がありました」
こうした状況から、事業の継続的な成長を支える基幹システムのさらなる進化を目指して、2020 年 4 月にキックオフしたのが「 CORE プロジェクト」です。このプロジェクトが発足した背景について、寺田氏は次のように説明します。
「まず避けて通れないのが、SAP ECC6.0 の保守が終了する『2025 年の崖』です。これは決して先送りにはできない課題でした。もう 1 つは、最先端のデジタル技術を駆使した DX の推進です。SAP ECC6.0 の周辺にさまざまなシステムが乱立する以前の環境では、経営情報を把握するために分散したデータを Excel で集約しなければならないなど、リアルタイムのデータ分析の点で大きな課題がありました。新たな基幹システムとして SAP S/4HANA を採用した理由は、標準モジュールを活用した機能統合によって業務が効率化されることに加えて、データドリブン経営を支える分析の高度化、また最新テクノロジーとのスムーズな連携を実現できると考えたからです」
標準機能によるシステムのスリム化、アドオンの削減
新たな基幹システムの稼働目標を 2023 年 4 月に定めた CORE プロジェクトにおいて、旭化成が統合の対象としたのは、生産管理、在庫管理、販売・物流、会計、購買の業務領域です。プロジェクト名に冠された「CORE」という言葉は、これらの業務領域をワンインスタンスの SAP S/4HANA でつなげるという狙いから、Connection(つながる)と Renovation(刷新)の頭文字を組み合わせて命名されたものです。
SAP S/4HANA を活用したスリムかつシンプルな基幹システムの再構築を目指したプロジェクトチームは、独立していた SAP インスタンスを含めて、さまざまな周辺システムの機能を SAP S/4HANA 上で統合しました。旭化成メディカルの SAP インスタンスを SAP S/4HANA に統合したことはもちろん、周辺システムで行われていた伝票入力、予算入力、レポート出力といった機能の多くが、現在は SAP の標準機能に移行しています。また、サプライヤーとの契約・請求処理など原材料購買の業務は、並行して導入した SAP Ariba 上で行われるようになっています。
「SAP S/4HANA の標準モジュールの活用や SAP Ariba の導入については、SAP さんの Premium Engagements のサポートを通じて手厚い支援をいただきました。これにより周辺システムの多くが廃止され、データの一元化、可視化がかなり進んだと思います」(寺田氏)
プロジェクトのもう 1 つの大きな課題は、アドオンの削減でした。約 20 年にわたる SAP 運用の中で、同社のシステム群には 2,400 本ものアドオンや膨大な帳票類が蓄積されていました。
「プロジェクトの構想段階から、SAP の Fit to Standard のアプローチでアドオンは極力削減していく方針でしたので、新たに設置したアドオン審議会で厳格な判定を行いながら、1,100 本まで削減することができました。ここでも Premium Engagements のサポート通じて、標準機能で置き換えることができるか、運用上の工夫でカバーできるかといった点を判断できた点は大きかったと思います」(寺田氏)
若手主導の体制で計画通りの予算と納期で本番稼動
構想段階も含めた約 5 年にわたる CORE プロジェクトの過程で想定外の出来事だったのが、2020 年初頭に発生した新型コロナウイルス感染症のパンデミックです。旭化成では、すでに Microsoft 365 を活用したリモートワーク環境が整備されていたことから、プロジェクトのリモート移行自体は問題なかったものの、当時は要件定義の段階だっただけに、SAP ほか導入パートナーとのミスコミュニケーションを防ぐために会議の頻度を高めるなど、さまざまな工夫を行ったといいます。
「緊急時のコミュニケーションにはもっと工夫の余地があったのではないかという反省もありますが、10 年前の NEXT プロジェクトの中核メンバーがいない若手主導のプロジェクト体制で、なんとかカットオーバーを迎えることができました。コロナ禍の中でリモート開発のノウハウを獲得できたことも 1 つの成果だと思います」(寺田氏)
寺田氏の言葉にもあるように、CORE プロジェクトが目指した SAP S/4HANA のビッグバン導入は、約 80 名のプロジェクトメンバーと約 1,200 名の社内関係者の協力によって、計画通りの予算の中で 2023 年 4 月に無事に稼働し、現在も安定した運用が続けられています。
「SAP S/4HANA の導入が完了したことで、DX を支える基盤が整備されたことは大きな成果です。一方、さらなる業務改革、データ活用の高度化、まだ 1,000 本以上あるアドオンの削減など、さまざまな課題も残されています。すでに当社では、業務プロセスの継続的な改善を支援する SAP Signavio も導入していますので、SAP さんのサポートも得ながら、引き続きこれらの課題の解決に取り組んでいきたいと思います」(寺田氏)
SAP の多彩なソリューションを活用した DX の推進
セッションの後半では、講演を終えた寺田氏を含め、CORE プロジェクトを牽引したキーマンである旭化成の塩月氏と上杉氏、SAP ジャパンからプロジェクトに参画した尾越、森を交えたトークセッションが行われました。
まず、尾越から 2019 年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏など優れた人材を輩出した旭化成の企業文化について聞かれた寺田氏は、次のように答えました。
「100 年の歴史のある会社ですから、家族的な雰囲気があります。一方、誠実、挑戦、創造という伝統的な価値観の中で、若手でも良いアイデアがあれば、何でもやらせてもらえる実力主義の一面もあります」
CORE プロジェクトに関して、PMO の一員としてプロジェクトの推進に携わった上杉氏は、最も大きなチャレンジは予算と納期を守るための開発ボリュームのコントロールだったと話します。
「長年にわたる SAP 運用の中で膨大なアドオンが生まれていましたので、これをコントロールしないことには当初計画した予算と納期を守れないことは明らかでした」
尾越によれば、最近は SAP の Fit to standard のアプローチで業務の標準化、アドオンの削減に取り組む企業は多いものの、思ったとおりの成果につながらないことも珍しくないといいます。
「CORE プロジェクトでは、PM やリーダーが毎週集まる場で追加のアドオンなどを議題に上げて、さらに毎月開かれる会計、IT、経営企画室の部長が参加するアドオン審議会で最終的な判定を行いました。この審議会の判定のハードルが高かったことが、アドオンの大幅な抑制につながったと思います」(上杉氏)
また、尾越からは SAP S/4HANA や SAP Ariba 以外にも、SAP のさまざまなソリューションを導入したプロジェクトの苦労についても質問が出されました。
これに対して、上杉氏と同じく PMO の一員としてプロジェクトに参画した塩月氏は「SAP S/4HANA のクラウド基盤として SAP HANA Enterprise Cloud を採用しましたが、このオペレーションはインドで行われていて、国境を越えた作業依頼にはかなり苦労しました。Web 上のサービスリクエストからしかコミュニケーションができないので、回答がないときなどは、SAP ジャパンの方に仲介してもらうシーンが何度かありました」と現場のエピソードを明かしました。
この他にも塩月氏は、システム面だけでなく業務改革も踏み込んだ SAP ソリューションの活用について、次のように話しました。
「アドオンや外付けのスクラッチシステムを削減していくためには、可能なかぎり SAP の標準モジュールやソリューションを活用して、ワンインスタンスの中で統合していかなければなりません。今回のプロジェクトでは、SAP Business Planning and Consolidation によって経費予算、販売予算の個別システムを集約したほか、SAP In-House-Cash による約 70 の関係会社の集中支払い処置、それ以外にも SAP Global Trade Services を使って医療機器の輸出販売の手続きをシステム化するなどしました」
SAP ジャパンから TQM の立場でプロジェクトに参画した森は、プロジェクトの成功要因を次のように分析します。
「アドオンの削減にかぎらず、プロジェクトのどのタイミング、どのスコープで Premium Engagements を活用するかをディスカッションして、大きな価値を引き出していただけたと思います。経営層や SAP ともうまく連携しながら、すべての課題にロジカルに対処されたのがよかったのではないでしょうか。アドオン審議の経緯は文書化されて残っていますので、今後のプロジェクトでも活かすことができます」
また SAP に対する今後の期待として、塩月氏は次のように話します。
「SAP S/4HANA の導入を無事に終えて、これからはデータ活用が大きな課題になります。データ活用では SAP Datasphere も使っていますので、さらなるサポートを期待しています。一方、SAP さんのクリーンコア戦略も参考にしながら、クラウドに準拠したさらなる拡張機能にも取り組んでいきたいです」
同様に上杉氏も「プロジェクトの後、私は生産系の DX を推進する部署に異動になりましたが、ここでもデータ活用の要望は多く出ています。SAP のデータは DX に欠かせない重要なデータばかりですので、SAP さんには引き続きご協力をお願いしたいと考えています」と話しました。
最後に、寺田氏は次のように話してセッションを締めくくりました。
「プロジェクトの総括には 2022 年 10 月から着手し、この先 SAP S/4HANA をどう活用していくかを考え始めました。DX の推進において、D はあくまで手段であり、重要なのは X です。今後は SAP Signavio を使ってさらなる業務改革に進めていくことで、本来重要な領域に資源を集中できる事業基盤が整備できるはずです。CORE プロジェクトは国内の事業基盤がターゲットでしたが、今後はグローバルの課題にも目を向けながら、新たな成長を目指していきたいと考えています。DX を通じた新たな価値創出は、まさにこれからが本番だということです」