OpenAI が 2022 年 11 月にリリースした ChatGPT をきっかけに、生成 AI は私たちの生活やビジネスを一変する新たなテクノロジーとして大きな関心を集めるようになりました。しかし、AI を自社のビジネスで活用して成果を生み出している企業はまだ少なく、多くが試行錯誤を繰り返している状況です。2024 年 3 月 21 日に開催された NewsPicks Brand Design 主催のオンラインイベント「AI 時代のビジネス最前線 powered by SAP」では、「AI ドリブン経営を実現する、ビジネス基盤の作り方」と題したセッションに、脳科学者の茂木健一郎氏、顧客体験 DX でビジネス課題を解決する株式会社 Kaizen Platform 代表取締役の須藤憲司氏、SAP ジャパン株式会社 バイスプレジデント Enterprise Cloud 事業統括の稲垣利明の 3 名が登壇。AI を経営で戦略的に活用するための新たな思考法と実践手法について議論を交わしました。
(写真左から)Kaizen Platform 須藤憲司氏、SAP ジャパン 稲垣利明、脳科学者 茂木健一郎氏
◎ 登壇者
脳科学者 茂木 健一郎 氏
SAP ジャパン株式会社 バイスプレジデント Enterprise Cloud 事業統括
稲垣 利明
◎ ナビゲーター
株式会社 Kaizen Platform 代表取締役
須藤 憲司 氏
加速する AI の進化がビジネスにもたらす価値
須藤 最初に、茂木さんと稲垣さんに昨今の AI をめぐる状況についてうかがいたいと思います。2023 年は ChatGPT をはじめとする生成 AI の技術が飛躍的に進化し、2024 年に入ってからも新しいニュースが次々と飛び込んできています。
茂木 OpenAI が 2024 年 2 月に公開したばかりの動画生成の AI モデル「Sora(ソラ)」や Google の対話型 AI モデル「Gemini(ジェミニ)」には、正直驚かされています。一方、最後のワンマイルのフィニッシングタッチでは、どうしても人間の手が必要なところもあって、AI の課題が少しずつ見えてきているところもエキサイティングです。
稲垣 私は AI がもたらす価値を、3 つの視点で捉えています。1 つめは、個人が生産性を高める視点。2 つめは、企業のビジネスプロセスを高度化していく視点。そして最後に、AI そのものを自社の製品やサービスに組み込んでいく視点です。これらはそれぞれで、考えなければならないポイントが違うと感じています。
茂木 面白い視点ですね。SAP のビジネスは、組織が経営戦略を実行するときに人と AI が一体となって動いていくところに焦点を当てています。個々の人間の創造性というよりも、スケールする創造性のモデルが必要だということですね。
須藤 私が個人の AI 活用で注目しているのは、映画やゲーム制作といったエンターテインメントの世界において、これからは少人数もしくは個人の力で大作が作れるようになる可能性があるということです。AI の技術を使って少人数で大作が作れるなら、エンターテインメント企業にとって画期的な変化ですし、AI に投資する大きな価値があると思います。
稲垣 SAP としては、これまでの個人の「優秀さ」という定義が、AI によって変わってくるかもしれないと考えています。仕事の明確な方向性さえ打ち出してしまえば、あとは AI に任せて、人間は重要な意思決定だけをやればいい。AI によって圧倒的なスピードと生産性が実現して、コストも削減されるわけですから、個人に求められる能力はかなり変わってくると思います。
茂木 脳の研究をしている立場としては、欲望の成り立ちという視点で考えますね。経済は欲望で動いていて、クリプトカレンシー(暗号通貨)があれほど信任されたのは、それを多くの人々が欲していたからです。NFT(Non-Fungible Token、非代替性トークン)についても、Web3(ブロックチェーン技術などを基盤とする分散型インターネットの概念)についても、結局は人がどれくらい欲するかで経済が動いているわけじゃないですか。
稲垣 SAP は仕事や個々の作業に関する要望を集めて、それを標準化してソフトウェアとして提供しています。そこからさらに要望を集めて標準化し、ブラッシュアップを重ねてきたのが SAP の歴史です。AI の世界も同様で、あるプロセスの中でこんなアウトプットが出てきたらいいよねということを、標準化して提供していくことにこそ価値があると感じています。
脳科学者 茂木 健一郎 氏
AI コミュニティにおける SAP の戦略的なアプローチ
稲垣 もう少し付け加えるとすると、標準化ですべてが解決するかというとそうでもなくて、みんなが欲している部分を底上げし、その上に自社のアイデアや独自性を積み上げることで差別化につながり、それ以外の差別化しなくていいところは、しなくていいというのが SAP の考え方です。
茂木 脳科学の分野でいうとエンボディメント、つまり「身体性」ということです。AI ドリブン経営で社員のエンゲージメントをどう高めていくか、どうコミットメントしていくかというのは、共通の身体性が活かせるはずです。その上に経営のユニークなコンセプトが入ってくれば、それはものすごく面白い視点だと思いますね。
須藤 現時点で AI は身体性を持っていないので、そのコツは人間が作り出さなければならない。人間しかできないものと AI が得意なものを融合して、経営の中に組み込んでいくことが見えてきていると私は感じています。
稲垣 例えば、企業のビジネスプロセスにおいても、そのプロセスのどこに、どの機能を当てはめていくと、こういうリターンがあるから、ここで AI を活用するといいよねといった棲み分けができるようになると、差別化が生まれてくると思います。
茂木 「GO(行くか)」と「NO GO(行かない)」かの判断を行うのは人間の脳の重要な機能で、どんなに計算やデータを積み重ねても、最後の判断は意識を持った脳がやるしかない。
須藤 どれだけ多くの材料が集まっても、GO か NO GO かは人間が決めるべきもので、それは大きな意味を持っていると思います。
茂木 この点について、SAP は興味深い経営判断をしているとうかがいました。
稲垣 はい。SAP はこれだけ AI が注目されている時代にあっても、生成 AI のモデル開発は行わないことを宣言しています。生成 AI のモデルに関しては、先進的な AI 企業とアライアンスを組んで OEM で提供を受けるということです。SAP はビジネスプロセスを熟知していて、それを実現するためのアプリケーションも持っています。また、お客様サイドには膨大なデータもあります。この資産を活かして、ビジネスプロセスに最適な AI モデルや機能をキュレーションします。そして、大量のデータを使って正しいアウトプットを出すためのチューニングを行い、倫理的に問題がないか、ハルシネーション(AI が事実に基づかない情報を生成する現象)がないかをチェックした上で、アプリケーションに組み込んで提供していく戦略に舵を切りました。AI モデルの開発ではなく、ビジネスプロセスを踏まえたチューニングこそが、SAP が最も大きな価値を提供できる領域だということです。
茂木 現在の AI コミュニティでは、自社のポジションをどこに見いだすかの戦略が非常に重要で、その意味で SAP の戦略はすごく理解できます。
稲垣 現在のビジネスプロセスの中で、どこに AI の機能を組み込めばよいのかはある程度明確なところがあり、高度にチューニングされたソリューションを提供できれば、多くのお客様に受け入れてもらえるはずです。その上で、お客様には差別化すべき領域にリソースを使ってもらうことを SAP は提唱しています。
須藤 私は DX のアプローチも変えていかなければならないと思っています。海外では、AI の領域はリソースを総入れ替えするようなトップダウンの意思決定が当たり前のように行われていますが、日本の場合は既存のリソースをリスキリングして、AI を担当させるといったことをやろうとしています。同じ DX でもアプローチがまったく違っていて、日本はどんな DX を目指すべきなんだろうかといつも考えています。
茂木 日本には伝統的に優れた DX のモデルがあると思っていて、その 1 つが「おまかせ」です。例えば、海外のレストランなら「肉の焼き方はどうしますか?」と、お客さんの注文を細かく聞くのが普通ですよね。ただし、これはカスタマイズで、日本だと目利きのシェフが「本日のおすすめはこれです」と料理を出してくることがよくあります。これはまさに標準化の最たるものです。大切なのは、人間が何を心地よいと感じるかを洞察することで、それがおまかせのモデルだと思うんです。AI ドリブン経営でも、スタンダードなモデルを考え抜いて、これならきっと使いやすくて、フレキシビリティもあり、ビジネス効率を高められるといったモデルを提供できることが理想ではないかと思います。
AI-Ready な組織になるためのシステム基盤の再整備
稲垣 AI もユーザーの裾野が広がっていますが、積極的に利用している方もいれば、まだ触ったことがない方もいて、かなり差が出てきています。この変化を前向きにキャッチアップしていく力は、組織としても重要なテーマだと思います。
茂木 脳研究の立場でいうと、人間の性格のビッグファイブ理論(人間の性格は 5 つの要素の組み合わせからなるとする理論)で「Openness(開放性)」という指標があります。これは新しい経験をどれくらい受け入れられるかという指標で、Openness が高い人もいれば、逆に低い人もいます。ですから、AI を使いたい人は積極的に先を行くべきでしょうね。
稲垣 個人としてはそれで問題ないと思うのですが、企業間の競争を考えたときに、経営、ビジネスプロセス、業務効率などにまで AI が影響を及ぼしてくるようになると、競争相手が AI を使って「ドーピング」をしていれば、もうそれなしでは勝負にならないと思うんです。
須藤 「ドーピング」というのは面白い表現ですね。日本では自分だけが遅れるのをすごく嫌う人が多くて、ある種の同質性が高いというか、AI に関しても当たり前のように使った方がいいというのは、すごくいい流れですよね。
稲垣 ただし、AI を活用する前段階でもやるべきことがあります。自社のシステム基盤がしっかり整備されていれば、AI にも高品質なデータで学習させることができますので、アウトプットの精度が上がり、業務の効率化、生産性の向上が実現します。しかし、そこまでしっかりと自社のシステム基盤を整備できている企業はまだ少ないと感じています。
須藤 つまり、AI-Ready ではないということですね。蓄積されたデータもフォーマットがバラバラで、運用やオペレーションが明確に定義されていないことも珍しくありません。ですから、AI の普及期にシステム基盤の整備も行って、AI-Ready な状態まで高めていく必要がありますね。
株式会社Kaizen Platform 代表取締役 須藤 憲司 氏
AI ドリブン経営で求められる「野心的な意欲」
須藤 社内で AI を活用できる環境を整備するために、経営者や IT 担当者にはどのようなアクションが求められるとお考えですか。
茂木 私はまず、夢を持ってほしいと思います。AI の時代が到来して、私は今ワクワクしています。経営者の方々にも、ワクワクする時代を生きていることを実感してほしい。
稲垣 私は ChatGPT でも何でもいいので、まず生成 AI を使ってみることをおすすめします。
須藤 確かに使った経験がないと、仮定の上に仮定を積み重ねることになってしまいます。自分たちのデータをどのように学習させ、どのように使えば、ビジネスが変わっていくのかというのは、使うことでしかイメージできないということですね。
須藤 最後になりましたが、企業の経営者、ビジネスリーダーの方々に向けた、変化の時代を楽しむためのメッセージをお聞かせいただけますか。
茂木 最近聞いた話ですが、ノーベル賞受賞者の平均的な IQ は 140 で、アインシュタインのレベルでも 160 くらいだそうです。そして、現在の生成 AI はノーベル賞受賞者のレベルには到達していて、いずれはアインシュタインのレベルになると言われています。そう考えると、アインシュタインと同レベルの優れたアシスタントを使わない理由は、もはやどこにもないということです。これまでやってきた分析のような仕事は、すべて天才アシスタントに任せて、ある種の「ズル」ができるわけです。これからの私たちに求められるのは、経済学者のケインズの言葉にある「アニマルスピリッツ」、つまり野心的な意欲です。何かをやってやろう、ビジネスで大金を稼いでやろう、自分の欲望を現実のものにしてやろうという、選択と行動に集中できる未来が目の前に来ているのかもしれません。頭の良し悪しは関係なく、これからの AI ドリブン経営では、野心的な意欲が大きな意味を持つ時代になると思います。
稲垣 同感です。これからの世の中はどうなっていくのだろう、何ができるようになるのだろうと考えるだけで、すごくワクワクします。ただし、ゲームの根本的なルールも変わりつつあります。DX のプロジェクトでも AI の導入でも、これまではゴールを決めて走り出すのが一般的でした。しかし、AI はゴールを決めて走り出した瞬間、ゴールの位置が変わるゲームです。3 年後のゴールを決めて AI 導入プロジェクトをスタートしても、絶対に失敗します。キックオフした翌日からゴールが変わる可能性があるので、それも含めて楽しめるようになるといいですね。
須藤 少しネガティブなアプローチでいうと、「あきらめ」も大事だということです。私自身も ChatGPT を使ってみて思ったことですが、自分よりもはるかに優秀で、AI には絶対に勝てないところがある。逆にいうと、私たちはもっと楽をしてもいいわけですし、さぼってもいいわけです。AI に仕事を奪われるといった話ではなく、むしろ積極的に AI に仕事を任せて、自分たちは本当に考えるべきことだけをやればいいというふうに、ある種の明るいあきらめを持ってやっていければ、新しい未来が見えてくるのではないかと思います。
茂木 南の島の人に「一生懸命働いてお金を稼いだら、バカンスが楽しめる」と言ったら、「私たちはもうそれをやっている」と返されたという南の島の幸福論があるのですが、現在は AI を使ってどう世界を回していくかというスタート地点に立っています。つまり、皆さんが新たなバカンスを楽しめるかどうかは、AI をいかにして活用するかにかかっているということです。
稲垣 資本主義もアップデートされていますので、これからの時代は AI をうまく使って、新しい休み方を楽しみたいですね。
須藤 AI の時代が本格化して、また新しい幸福論が生まれそうです。皆さん、本日は楽しいお時間をありがとうございました。
※本投稿は2024年3月21日配信 NewsPicks Brand Design 主催のオンラインイベント「AI 時代のビジネス最前線 powered by SAP」にて実施されたセッション「AI ドリブン経営を実現する、ビジネス基盤の作り方」のレポート記事です。
アーカイブ映像はこちらからご覧いただけます(2025年3月31日まで)
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ホワイトペーパーはこちらからダウンロードいただけます(2025年3月31日まで)
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